本研究は、イランを現在の国民国家としてより、広域な文化圏として捉えつつ、18世紀後半より始動する「近代性」との邂逅が、19世紀に入っていかに咀嚼・解釈され、そして国内外からの支配に対抗する拠り所へと変容していったかを、イランの国境外で活躍した3人の人物に光を当てることで、解明することを主な目的とした。その結果、初期のムスリム知識人たちは西欧に起源する「近代性」が生み出す科学技術的成果は評価する一方で、文化的な矜持を保持しようとしたこと、及び時代が進むにつれ政治主体としての「国民」がとくに専制的「王朝権力」と対比するかたちで創生されていったことが明らかになった。
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