本研究の目的はアナトリア南東部のヒザン地方の歴史を明らかにすることであった。独自の社会や文化が形成されたにも関わらず、様々な要因から同地方の近世から近代にかけての歴史はほぼ空白であった。15世紀以降ヒザン地方ではクルド系部族連合を率いたクルド系諸侯(アミール)の一族が世襲的支配を確立した。16世紀オスマン朝は同地方の政治・社会状況を詳細に把握した上で統治を始めた。しかし17世紀以降ヒザン地方の動向は史料に詳細に記録されなくなるが、それはオスマン朝とサファヴィー朝の国境が確定し同地方の重要性が減少したことが原因だと考えられる。最終的に19世紀前半の近代化の過程でアミール一族は排除された。
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