研究課題/領域番号 |
25370846
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研究機関 | ノートルダム清心女子大学 |
研究代表者 |
鈴木 真 ノートルダム清心女子大学, 文学部, 准教授 (60400610)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | 雍正帝 / 八旗 / 旗王 / 藩邸旧人 / 移旗 / 地方志 / 吏科史書 / 清朝 |
研究実績の概要 |
平成26年度は,前年度に引き続き,主に『雍正六科史書・吏科』や各種地方志における旗人官僚の所属旗・出身・年齢・官歴などのデータを収集・整理した。これらの過程で判明したことは,雍正帝胤禛の即位時における宮廷内の高官らがかなり高齢化しており,新皇帝の即位と世代交代の時期とがちょうど重なったことである。 また,旗王(ジョウ【金+襄】白旗雍親王)時代の胤禛の旧臣(「藩邸旧人」)について,かれらが主人である胤禛の即位後,どのようなポストに就いたのかを,中級~下級官僚に至るまで,可能な限り復元した。その結果,京官では内閣・六部・都察院などのあらゆる衙門に,地方官ではほぼ全省にわたって胤禛の旧臣たちが散らばっていたことを明らかにした。かれらジョウ白旗の旧臣らは,胤禛の皇帝(上三旗旗王)即位後には,当然その麾下から外れたが,かれらの所属は雍正帝胤禛の第三皇子→第八皇子→雍和宮(旧雍親王府)というように,一貫して胤禛の意思を伝えやすい処に置かれ続けており,胤禛はかれら藩邸旧人をジョウ白旗に意図的に留めることで,下五旗における手駒としていたことを明らかにした。しかしながらすべての旧臣が無条件に栄達したわけではなく,胤禛が人材を慎重に選別していたことは注意しておかなくてはならない。 さらに即位後の雍正帝胤禛が,一部の下五旗の旗人を上三旗に移旗するという命令を,明確な政策としておこなおうとしていたこと,その際には下五旗の旗王から一方的にニルや旗人を没収するのではなく,旗王によるニルの分有という従来の体制の維持を心掛けていたことについて,いくつかの事例を確認した。この点は次年度にさらに事例収集と考察をおこなう予定である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
前年度に引き続き,主に『雍正六科史書・吏科』や各種地方志の関連記事をひろく収集することによって,雍正年間の旗人官僚の詳細なデータを復元した。とくに雍正帝の旗王時代の旧臣たち(藩邸旧人)について,雍正初年にかれらが就いていたポストを復元し,その特徴を明らかにした。 私は「研究目的」において,「雍正帝は自己の政策を実現するための手駒としての官僚を,順次選別・抜擢・養成していったのではないか」という見通しを立てたが,そのことについては,本年度の藩邸旧人に関する事例研究によって,一定程度は論証し得たと考えている。なおこの成果は,「ジョウ白旗雍親王家の人びと」(『社会文化史学』58,2015)として論文化した。
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今後の研究の推進方策 |
平成27年度も前年度に引き続き,主に『雍正六科史書・吏科』の旗人官僚の関連記事を調査するが,今後は,即位後の雍正帝が皇帝(上三旗旗王)として自らの新たな上三旗を構築しようとしていたことを,移旗という事例に注目して論証していく予定である。そのため,移旗に関する雍正朝の事例を各種の文献史料から出来得る限り収集する。とくに,26~27年度購入の『北京図書館蔵家譜叢刊 民族巻(全100巻)』は,旗人官僚の婚姻関係などについても従来得られなかった情報を含んでいるので,詳しい調査をおこなう。 また,雍正帝が下五旗の旗人(他の旗王の麾下に属する旗人たち)を登用する際に,吏部の人事案をどの程度受け入れているのか,あるいはまったく独自の意思によって人材を登用しているのかについても収集した事例から明らかにしたいと考えている。
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