本研究の目的は,清朝雍正年間(1723~1735)の八旗改革と、雍正帝による旗人官僚の任用パターンとの関係を解明することで、雍正朝における宮廷内の権力構造を再検討することにある。 平成28年度も,前年度より継続して『雍正六科史書・吏科』や『北京図書館蔵家譜叢刊民族巻』の精査をおこない,旗人官僚に関する諸データを蓄積した。今年度はとくに、旗王麾下の下五旗の旗人官僚が、雍正帝麾下の上三旗に移旗された場合の事例を収集し、どのような理由・背景があり移旗がおこなわれたのか、移旗の経過、また上三旗に移旗されて以降に当該の旗人官僚がどのような官歴をたどっていったのかという問題の解明をめざした。 移旗のパターンとしては、①目当ての旗人およびその近親のみを移旗させる、②目当ての旗人とその一族を移旗させる、③目当ての旗人の所属するニルごと移旗させる、などの違いがあり、また名目上は旗王麾下に留めたまま、実際には上三旗で任務に就かせるなど、対象とする旗人や情況に応じて、雍正帝が実情を把握したうえで細かな指示を与えていることが明らかになった。 しかしその一方で雍正帝は,すでに入関後八十年を経て旗王とその麾下の旗人との間に累代の密接な関係が形成されていたことも考慮している。とくに,厖大な数のニルを領有する八鐵帽子王家のような旗王家を廃絶することは,旗人社会に不必要な混乱を招く。そのため雍正帝は,既存の旗王制の枠組みは否定することなく,ピンポイントで効果的な再編成をおこなっていった。その効果的な方策のひとつが,特定のニルや旗人(およびその親族)をのみ,下五旗から上三旗へ移旗することであったと考えられる。
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