研究課題/領域番号 |
25370849
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研究種目 |
基盤研究(C)
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研究機関 | 茨城大学 |
研究代表者 |
深澤 安博 茨城大学, 人文学部, 教授 (60136893)
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研究分担者 |
中田 潤 茨城大学, 人文学部, 教授 (40332548)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | フランコ政権 / モロッコ保護領 / 西北アフリカ帝国構想 / タンジャ占領 |
研究概要 |
当該年度の研究は、第1に、スペイン内戦に勝利した後の第2次世界大戦中のフランコ政権はどのようなアフリカ植民地政策を策定したのか、第2に、上記の期間にスペインのアフリカ植民地の中軸を成したモロッコ保護領ではどのような植民地統治政策が実際に展開されたのか、とくにどのような「原住民」統治政策がおこなわれたのか、それに対して「原住民」はどのような反応を示したのか、第3に、フランコ政権の「西北アフリカ帝国」構想を枢軸諸国とくにドイツのアフリカ植民地政策との関連で明らかにすること、以上のことの解明を目的とした。①フランコ政権は、内戦中に自らに協力したモロッコ民族主義者を公的には宥和する政策(民族主義政党の承認、内戦に参加したモロッコ人兵士への年金、ハブー(ワクフ)のモロッコ人による管理、新聞・結社の自由など)を展開した。しかし実際には民族主義者を厳しく監視し、また2つの民族主義政党を相互に対立させて民族主義運動の分裂を図った。②身分証明書の発行など「原住民」は厳しく監視された。さらに農産・畜産税など徴税は強化された。③ドイツ「第三帝国」のヨーロッパ支配とくにドイツのフランス侵入を予期して、外務省内で「スペイン西北アフリカ帝国」構想を練り上げていた。とくに当面はタンジャの占領を立案した。 以上の研究は、スペイン陸軍史料館(スペイン、マドリード)にマイクロフィルムで所蔵されているモロッコ植民地関係文書の閲覧と検討によって可能となった。さらに総合公文書館(スペイン、アルカラ・デ・エナーレス)、スペイン国立図書館旧アフリカ資料室、マドリード市立新聞資料館の各所蔵資料の閲覧によって可能となった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
「研究目的」で設定された3課題、つまり、①第2次世界大戦中のフランコ政権のアフリカ植民地政策、②その中でもとくにモロッコ保護領での「原住民」統治政策、③フランコ政権の「西北アフリカ帝国」構想について、スペイン陸軍文書、スペイン総理府(モロッコ保護領を管轄)文書それに外務省文書によってある程度まで明らかにできている。とくにスペイン国立図書館旧アフリカ資料室にはアフリカ派軍人が収集した非常に多くの冊子や文献、さらにスペインはもちろんヨーロッパと北アフリカで発行されていた新聞の切り抜きなどが所蔵されていることがわかった。また同資料室所蔵のアフリカ派軍人の策定になる政策文書も研究のために有益だった。マドリード市立新聞資料館にはスペインの北アフリカ領土(セウタ、メリーリャ)、タンジャ、スペイン領モロッコで発行されていた新聞が所蔵されており、これらによって保護領「現地」の様々な情報を得ることができた。
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今後の研究の推進方策 |
今後はとくに以下のことを重点的に研究する。①モロッコ保護領でのスペインの統治政策に対して「原住民」がどのような反応を見せたか。これはスペインの公式文書ではなかなかわからない。モロッコ民族主義の指導者たちが残した何らかの文書やフランス領モロッコで発行されていた新聞などを参照することが必要となる。②ドイツのアフリカ植民地政策とフランコ政権の「西北アフリカ帝国」構想との関連を明らかにすること。ヘンダーヤでのフランコ・ヒトラー会談(1940年10月)での駆け引きだけでなく、スペイン外務省指導者またアフリカ派軍人がどのような政策や方針を考えていたか、それらを枢軸諸国とくにドイツのヨーロッパ支配あるいはその後退との関連で明らかにする。
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次年度の研究費の使用計画 |
「その他」の費目中の複写費が計画より安く済んだため。 昨年度残額と合わせてスペイン国立図書館所蔵文献の複写費に使用。
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