研究課題
19世紀初頭のロシア正教会の高位聖職者層における保守思想は、啓蒙主義哲学に立脚した予定調和的世界観および信仰と理性の分離を志向する流れとして神秘主義的プラトニズムとフリーメイソンに対抗するなかで形成された。それは、カントに対して否定的な立場をとり、実質的に経験主義的な思潮として登場した。19世紀前半の文部官僚ウヴァーロフ、モスクワ大学初代ロシア史教授ポゴーディンは、ロシア的民族性を必ずしも中心化しない立場から多民族空間としてのロシア帝国の現状に対応した歴史観を提出した。保守的言論人・大学教授ナデージュヂンは、ロシア民族の民族的個性の重要性を訴えたが、流刑後にロシア帝国の多民族性を認めたうえで民衆の口承文芸を研究することの重要性を再認識するようになる。これらの分析の結果、検閲体制のもとで正教と専制を支持する保守的な言説の背後にある思想上の微妙な差異を読解する課題の重要性が明らかになった。さらにロシア地理学協会における民族学研究における保守思想を分析した結果、民族の概念を言語を中心とする文化的な範疇で捉えようとする保守的な思潮とそれに対して民族を生物学的な実体として捉えようとする進化論的な潮流との確執が明らかになった。19世紀後半の保守派の動向について概観した結果、イワン・アクサーコフが国家に対する「社会」の自主性を擁護し、ストラーホフが独自の有機体的世界観を提起し、ダニレフスキーが文化の類型論を提起したが、いずれも西欧起源の機械論的な唯物論や進化論の画一的な世界理解に対抗し多様性を擁護しようとしたことが明らかになった。総じていえば、ロシア保守思想はロシア正教、アジア、対抗文化に対して一義的な対応していたわけでなく急進派の傾向と守旧・復古的な傾向との間で全体性・調和性・漸進性を重視し、様々な排除の論理に抵抗することによってロシア帝国の文化統合に積極的に寄与したという示唆を得た。
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