研究課題/領域番号 |
25370854
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研究種目 |
基盤研究(C)
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研究機関 | 金沢大学 |
研究代表者 |
田中 俊之 金沢大学, 歴史言語文化学系, 教授 (00303248)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | ハプスブルク家 / スイス盟約者団 / バーゼル / 前方オーストリア政策 |
研究概要 |
盟約者団国家スイスの形成過程においてハプスブルク家および在地貴族が果たした役割を、スイス北西部のバーゼル農村部(シスガウ・ラント裁判区)を対象に考察した。 盟約者団による侵攻・占領により、ハプスブルク家の本拠地スイス北部アールガウ地方とその周辺(スイス北西部・北東部)では、15世紀前半以降、ハプスブルク勢力の弱体化が進んだと見られているが、15世紀後半には農民自治組織として機能していた当裁判区のラント裁判(1460年)には、ハプスブルク都市ラインフェルデンを拠点としたハプスブルク家の秩序およびハプスブルク系在地貴族の影響力が強く浸透していた。しかし都市バーゼルによる当裁判区の購入(1461年)により裁判区はバーゼルの支配下におかれ、1463年の同ラント裁判ではハプスブルク系在地貴族は姿を消す。これを通説的理解に基づき、のちに盟約者団に加盟するバーゼルの領域拡大が、弱体化の進むハプスブルク家ないしハプスブルク系在地貴族を排除した結果と見るべきか。 初年度は、近年のハプスブルク研究をふまえ、15世紀後半がエンシスハイム(エルザス地方)の宮廷裁判を中心に、前方オーストリア地域に関してハプスブルク体制の再建がめざされた時期であり、そのいわゆる前方オーストリア政策に、1460年のラント裁判に関与したハプスブルク系在地貴族が主要な役割を果たしていたことをまず指摘した。またバーゼル農村部における在地領主とバーゼルの間の紛争に関する史料(1466年)から、宮廷裁判のもとでの同ハプスブルク系在地貴族の役割を明らかにするとともに、15世紀後半においてなおハプスブルク家の秩序・影響力がスイス北西部を支配していたことを展望として得た。 以上の内容は、通説におけるハプスブルク家への過小評価の修正を促すとともに、盟約者団国家形成とハプスブルク家の動向の相互関係の解明の意義を再確認するものである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
初年度の研究実績は、申請書に記載した「研究の学術的背景」、「着想に至った経緯」を十分な土台として積み上げており、「研究期間内に明らかにしようとする事柄」の方向性からも逸脱せず、内容もおおむねカヴァーできていると判断できるため。
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今後の研究の推進方策 |
本研究では「在地貴族」を考察対象に掲げているが、初年度の成果から、さまざまな在地貴族について、それらがどのような性格の在地貴族なのか、個別の貴族に関してハプスブルク家との関係の強弱を特定して区分する必要を感じている。今後は全体の方向性はこのまま、新たに認識したこの課題にも留意して取り組んでいく。
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次年度の研究費の使用計画 |
購入を予定していた史料集(古書)が入手できなかったため。 購入可能であれば引き続き入荷を待つが、購入不可の場合は代替の史料集ないし研究文献を購入する。
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