本研究の目的は、冷戦が開始された当初10年間の間に米軍上層部及び米議会における反アジア人的姿勢(黄禍論)が反共産主義的姿勢(赤禍論)へと変容を遂げた過程を明らかにすることである。本研究では公刊史料及び個人史料に基づいて、安全保障、人種、市民権に対する彼らの考えが、第二次世界大戦から1952年までの東アジアからの人々の移住に適用されていったことについて歴史的分析を行った。本研究で分析の対象とした史料は、1952年の移民及市民権法成立の役割を担ったマの有力政治家、国務省長官連邦政府高官、地方政治家、民間防衛局などの安全保障を担う政府機関が残した史料である。
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