研究課題/領域番号 |
25370861
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研究機関 | 神戸大学 |
研究代表者 |
小山 啓子 神戸大学, 人文学研究科, 准教授 (60380698)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2018-03-31
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キーワード | 外国人 / 都市空間 / リヨン / 同郷団 / 帰化 / 市民権 |
研究実績の概要 |
本年度は、パリの国立文書館への資料調査などを行い、関係史料の調査・収集に努めた。またその成果に関しては、3月の日仏歴史学会総会において研究発表を行った。 まず、16世紀のリヨンにおけるイタリア人の居住地や関係の深い教会などを調査し、ギルドによる住み分けが基本とされる都市社会に、移住者たちがどのように入り込んでいったのかを分析した。その結果、リヨンの外国人はいわゆる外国人街を形成することなく、その中心地および周辺に混在して居住していたことが判明した。 次に、フィレンツェ同郷団関係の史料を用いて、当時のリヨン在住フィレンツェ人が、同郷団からどのような待遇・保護を受け、同郷団に対しいかなる義務を負うことになったかを検討した。 リヨンは外国人が非常に多い都市であったにもかかわらず、パリやマルセイユに比べ、市民権を得る条件が厳しかった。一般的には、リヨンの市民になるためには、先に帰化状が必要とされた。帰化に関し、外国人の態度は様々であった。フィレンツェのGadagneは都市に「同化」した最も有名な事例である。逆に、Capponi、Salviati、Gondi家にとってリヨンは一支店にすぎず、より広い地域で活躍した大商人家門であった。また一族の中で次男、三男だけを帰化させる事例もある。帰化登録簿を用いた分析も、引き続き、検討していきたい。 リヨンの外国人は、制度的に帰化するかどうかにかかわらず、居住した都市の社会生活には積極的にかかわりを持っていた。主な地域参加としては、入市式や名士の祝祭に参加すること、そして大施物会やサン=ロラン病院に対する、これ見よがしともいえるような派手な慈善活動である。こうした外国人の地域貢献のあり方については、来年度以降も引き続き研究を深めていくことが必要である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
本年度は、フランスの国立文書館で資料の調査・収集を実行し、フィレンツェ人の遺言書関係の資料の分析にも着手できたのはよかったが、子どもが小さいため長期の海外出張が難しく、予定していたヴァチカン図書館などでの同郷団関係史料を調査することはできなかった。本年度の成果を学会で発表し、多くのフランス史研究者からの質問・意見を得ることができたが、論文として刊行するまでは至らなかった。来年度は必ず論文として発表したいと考えている。 著書(共著)に関して、私の担当部分はすでに校了済みであるにもかかわらず、いまだ出版されていない原稿がある。
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今後の研究の推進方策 |
まずは早急に、日仏歴史学会で発表した原稿を論文という形で刊行したい。それと同時に新たなテーマのための資料調査・分析も進めていく。外国人の帰化の問題を掘り下げていく中で、土地の集積をはじめとする彼らの資産運営のあり方を明らかにする必要性を強く感じた。このことはおそらく、外国人が移住・定住を選択していく上で、また家系戦略上、根幹となる問題であっただろう。 16世紀リヨンのイタリア人は、在住社会との多くの接触を持ちながらも、法制的な意味での「同化」には至らないことも多かった(=それを強制される機会が少なかった)ように見受けられる。イタリア諸都市出身の商人集団は、国際的な意識の中で生きていたのも事実であり、それこそがリヨンをヨーロッパの経済的・商業的ダイナミズムに組み込むことのできた要因であった。16世紀の中頃までは、こうした外国人に対してリヨン社会は比較的寛容であったように思われる。しかし16世紀後半になると経済状況の悪化に伴い、イタリア人=徴税請負人に対する反感や、小売市場への関与に対する非難が一層厳しくなり、増税批判の言説の中にイタリア人が登場してくる。また、リヨンの外来商人が王権や都市から得ていた免税などの特権は、段階的に廃止される方向に向かった。この免税特権の廃止は、カトリック同盟による政治的混乱とあわせて、外来商人がリヨンから出て行く原因の一つになった。このことを受けて、R・ガスコンは宗教戦争に伴いリヨンという都市が閉鎖性を高めたとしているが、管見によればリヨンはイタリア人と入れ替わる形でサヴォワ人の割合が高くなっており、帰化登録そのものの件数も減ってはおらず、引き続き移入者を受け入れ続けていた。この展開がどのような社会的背景と関連しているのか、今後の課題である。
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次年度使用額が生じた理由 |
本年度はフランスおよびイタリアの文書館での資料調査・収集を予定していたが、子どもが0歳であったため長期の海外出張が難しく、フランスのみでの資料調査となった。そのため海外旅費などを予定よりも繰り越す結果となった。
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次年度使用額の使用計画 |
次年度、次々年度にかけて、フランスでの資料調査や研究打ち合わせ、および研究報告のために旅費を使用していきたい。また次年度はパソコンの購入も予定しており、データの整理・分析のために積極的に役立てたい。
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