本研究の課題は「ロシア大改革の歴史的意義」についてである。大改革に関する古典的研究であるヂャンシェフの『大改革の時代』では農奴解放、体刑の廃止、大学自治、地方自治改革、検閲改革、司法改革、軍制改革が挙げられ、さらに同時代におこなわれた経済諸改革を含めれば政治、司法、経済、文化、軍と広大な領域に及ぶ。本研究ではこのなかでも最も早くはじめられ、その他の改革に大きな影響をおよぼした農奴解放に焦点をあてた。また、なぜ農奴解放がはじめられたのか、皇帝がなぜ農奴解放の実施を決意したのかという問いをきっかけとして、従来いわれていたクリミア戦争と農奴解放との関係、農奴解放はいつはじまったのかという問題に関し、従来の学説の修正を含む新しい考えを打ち出した。 主な史料として用いたのはモスクワの「ロシア連邦国立文書館」に所蔵されているアレクサンドル2世文書、コンスタンティン大公文書であり、皇帝の日記、皇帝や皇族に提出された種々の農奴解放案、農奴解放の先例となった農民政策である自由農耕民に関するキセリョーフ国有財産大臣関連文書、農奴解放に直接間接的にかかわった個人の日記や覚書である。 結論として、以下の3点を挙げられる。1.ロシア農奴解放は「自由農耕民制度」、バルト諸県での農奴解放、「義務耕作民制度」という形で徐々に進められており、1840年代には後に大改革で活躍する開明官僚が育成されていた。2.クリミア戦争は国庫に経済的打撃を与えたが、それが直接に国家の基本的制度である農奴制廃止を迫るほどのものではなかった。3.農奴解放の画期とされる1856年3月の皇帝演説、1857年1月秘密委員会設置、1857年11月ナズィモフ宛勅書の時点では全国規模の農奴解放を躊躇しており、1858年夏から秋にかけて実現された形での農奴解放実施を最終的に決意した。
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