本研究は、「シオニスト連合」と以下に述べる「ユダヤ民族党」「国家シオニスト組織」の対抗という図式で、1919年から1938年の間のドイツ・シオニズムの動向を、特に反主流派のゲオルグ・カレスキーの思想や行動を分析することで解明していく。1917年のバルフォア宣言を経て、ユダヤ人国家建設の可能性が現実味を帯びる中、「シオニスト連合」もワイマル期には、パレスチナでの国家建設への支援に活動の重点を置いた。そういった「シオニスト連合」指導部に対して、この組織内部の一般メンバーから異議申し立てが始まる。それがワイマル期には「ユダヤ民族党」であり、ナチ期には国家建設で「シオニスト連合」に先んじようとする「国家シオニスト組織」であった。カレスキーはそれらを率いた人物である。 研究代表者は、昨年度訪れられなかったイスラエル国エルサレム市にあるシオニスト中央文書館やヤド・ヴァシェム文書館を訪れ、デジタルカメラにより収集したカレスキー関係文書やドイツ・シオニズム関係の史資料の分析を行う一方、ナチ期にドイツからパレスチナに逃れたドイツ・ユダヤ人に対するビデオ・インタビュー資料を、ハンブルク大学現代史研究所「記憶の工房」を訪れることで調査した。次に、日本ユダヤ学会第12回学術大会(2015年10月31日:早稲田大学文学学術院)で、「ゲオルグ・カレスキー(1878-1947)―ナチ政権下ドイツの修正主義シオニスト?」と題して研究成果報告を行った。さらに、成果の公表については、次の2編の論文を学術雑誌に投稿した。「ワイマル期ドイツにおける『ユダヤ民族主義』的動向に関して―同化主義でもシオニズムでもない第三の道」『西洋史学報』(第43号(2016年)掲載確定)と、「ゲオルグ・カレスキー―ワイマル期からナチ期のあるドイツ・シオニストの主張の分析」『ユダヤ・イスラエル研究』(第30号(2016)査読中)である。
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