本研究は、19世紀半ばから後半のプロイセン(ドイツ)領ポーランドにおける政治文化の変容を検討することを目的としている。具体的には、ポーゼン州議会を分析対象とした。 最終年度である平成28年は、ポーランドのポズナンへ赴いての史料収集を行った。また、1875年から1889年のポーゼン州議会についての分析を行い、この時期のプロイセン行政改革と州議会に関する論考の執筆準備を行った。この他に、論考「ポーゼン州のドイツ語―歴史的地域の失われた言葉を考える」平田雅博・原聖編著『帝国・国民・言語―辺境という視点から』(三元社、2017年)を発表した。 本研究期間全体は、主にポーゼン州議会の検討を中心に行った。1848年革命以降、プロイセンには全国議会が成立したため、州議会は制度として位置付けを大きく変えた。この変容は、国家中央と州議会の関係の変化を示している。本研究では、この変化を、自律性をより大きく保った「地域」から、中央との関係性において成り立つ「地方」への州の位置付けの変化ととらえた。 議会および行政という観点で見ると、ポーゼン州とプロイセン国家との関係が19世紀半ば以降強化されていった。さらに、19世紀半ば、特に1840年代に、かつてのポーランド王国(第一共和国)やワルシャワ公国期の政治文化を実際に経験した世代(例えばエドゥアルト・ラチンスキ)がほぼいなくなった。 このため、ポーゼン州の政治文化は、ドイツおよびポーランド双方のナショナリズムによって刻印されつつ、プロイセン国家との関係の中から19世紀半ばに新たに作り出されていくこととなった。同時に、ポーゼン州のポーランド人の政治文化に関して言えば、かつてのポーランド王国の経験を前提にしつつも、他の国家のポーランド人(ロシア領やオーストリア領)、プロイセン領の他地域のポーランド人の政治文化とは異なるものとなったといえるだろう。
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