本研究「***」の課題は、中世ロシアにおける国家と教会との緊密化の過程を、主に研究が不足していると考えられる法的な側面から考察することであった。分析は具体的な史料や場面ごとに行った。 まずはこれまで進めて来た「ウラジーミルの教会規定」と「ヤロスラフの教会規定」の分析を一つにまとめ、一四世紀中頃にこれらがロシア版のいわゆるノモカノン(『舵の書』とも呼ばれる)の一部になったことを明らかにした。様々な版の中で、モスクワに伝わっていたバージョンが基本となって、その後の教会裁判権の内容を(同時に世俗裁判権の内容も)決めていったことを明らかにした(「14世紀モスクワ社会における公の裁判権と教会裁判権」『中世ロシア研究論文集』(中近世ロシア研究会編)、2014年)。 更に、これまで中世の国家教会関係の法的側面の歴史を語る際に無思慮なかたちで使われてきたいわゆる「府主教裁判法」について、史料そのものの分析を行い、これを当時の国家・教会関係を見るために使用することは、相当に慎重であるべきであるとする結論を出した(「中世ロシアの府主教裁判法」『岐阜聖徳学園大学紀要』54号、2015年、47-63頁。)。 引き続き、14世紀末に生じた国家と教会との、伝来する中では最古の協約について、その意味するところを考察した。これまで、国家或いは教会のどちらかの勝利として解釈されてきた協約そのものについても、またこの時期に残る幾つかの史料についても考察し、この段階では両者ともに相手方に対する法的制限を行おうとする意識は相当に薄かったこと、とりわけ国家教会化の一里塚のような扱いを協約に求めることは完全に間違っていることを論じた。他方で、理想的な国家教会関係として、14世紀半ばのあり方が示されているということも明らかにした(こちらは現在『ロシア史研究』にて、査読等を経過し印刷中)。
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