研究課題/領域番号 |
25370881
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研究種目 |
基盤研究(C)
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研究機関 | 同志社大学 |
研究代表者 |
中井 義明 同志社大学, 文学部, 教授 (70278456)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | 記憶 / ペルシア戦争 / 前5世紀 / アテナイ / アマゾノマキア / テセウス / アクロポリス / マラトン |
研究概要 |
平成25年度は古典期アテナイの過去の記憶、とりわけ同じ世紀に属するペルシア戦争の記憶を前5世紀のアテナイ人がどの様に表象し、利用したのかを研究した。 その為にアテナイとその近郊にあるニケ神殿、パルテノン神殿、アクロポリス博物館、マラトン及びマラトン博物館を訪れ、フリーズやメトープ、記念柱、彫像、アマゾンやペルシア兵を描いた土器、マラトンの塚などを視察した。この結果とヘロドトス、トゥキュディデス、アイスキュロスやエウリピデスなどの前5世紀の著作家たちの作品、デモステネスやパウサニアスなどの後世の作品を比較検討した。 「テルモピュライ碑銘」に見られる戦死者への彰辞の定型化、アテナイの自己犠牲とペルシアの非文明性を顕示する破壊されたアクロポリスの保存、ペルシア戦争におけるアテナイの功績を象徴化する「アマゾノマキア」、マラトンの戦いでの功績を特別化するマラトンの塚やアイスキュロスの墓碑、テセウス信仰の発展と表象化、アテナイの帝国支配正当化の言説形成などを探求した。そしてこれらの探求を通じて過去の記憶の反歴史性、常に現在に属する記憶の特性を明らかにしていくことが出来た。また、過去は記憶を通して定型化され、反復利用されることで言説化され、前5世紀アテナイの政治文化を特徴づけていく。ここで言う記憶の反歴史性とは記憶が常に創作され、改造され、膨張し続けている記憶に備わる性格を指している。記憶は具体的でありながら曖昧、権威によりながら明確な根拠を示し得ないことに特色がある。 本研究の遂行と密接に関連させながらMemory of the Past and its Utilityをローマ大学のCarafa教授と共同編集しScienze e Lettere社から出版した。"Preface"では歴史研究における記憶の重要性、"The Acropolis"では近代における記憶形成の過程を論じた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
平成25年度は前5世紀のアテナイがペルシア戦争を中心とする過去の記憶をどのように表象化し、デロス同盟の盟主として、また民主政の旗手として利用して来たのかを解明することを課題とした。 パルテノン神殿やニケ神殿のメトープに描かれている「アマゾノマキア」、前5世紀の壺絵、マラトンの戦勝記念柱と塚の視認と分析、ヘロドトスやトゥキュディデスにおけるペルシア戦争に関する記述やアテナイ人の言説の分析と評価、アイスキュロスやエウリピデスなどの悲劇作品におけるペルシア戦争やアマゾン、テセウスについての分析を行うことが出来た。これらの研究作業を通してアテナイ帝国期のアテナイの過去の栄光とギリシアの救済者としての言説形成と表象化の問題に接近できた。 以上の理由により平成25年度の研究課題として設定した目的はほぼ達成されたものと判断している。特に前5世紀後半のアテナイ人にとって父祖の時代に属するペルシア戦争の記憶がデロス同盟の盟主として同盟諸都市を指導する帝国の現実、東方の大国との戦いを勝利に導きギリシア世界の防衛を全うし得た民主政の実力、父祖の自己犠牲が他のギリシア人に示した貢献、これらを正当化するものとして様々な媒体を通して表象化されたことを確認し得たのである。そしてそのようなペルシア戦争の記憶がアテナイ人の英雄であるテセウスと結合することによって市民のアテナイへの帰属意識を明確化する方向性を提供することになったと想定するのを可能としたのである。 また平成25年度での研究結果は前5世紀のアテナイ人の過去の記憶が他のギリシア人に共有され得るものなのか、更には前4世紀のアテナイ人に継承され得るものなのかを検討する素材となっている。これは記憶と記憶が形成・継承される現実環境との関係を検証するのに極めて有用な場となる。その意味でこれから行われる研究の第一段階は達成されたと評価している。
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今後の研究の推進方策 |
平成26年度はペロポネソス戦争でアテナイと対峙し、前5世紀末に強大な帝国を形成したスパルタが過去の記憶を如何に表象化し、アテナイの記憶と差別化したのかを研究対象とする。その為にペロポネソス半島を訪れ、スパルタの博物館やオリュンピア遺跡を視察する予定である。文献史料としてはクセノフォンを中心に進めていきたいと考えている。 スパルタの国立博物館に展示されているディオスクロイやヘレネの浮彫などの遺物はスパルタ人の表象化された過去の記憶の特色をよく表している。またスパルタ郊外にあるアミュクライの神域は青銅器時代から現在までの記憶を重層的に留める遺跡である。トポスが持つ記憶の継続性を探求することを可能にしている。オリュンピアのペロポネソス戦争戦勝碑文やイスタンブルのペルシア戦争戦勝碑文はスパルタ人の記憶の表現方法の特色をよく示している。その意味でペロポネソス訪問は本年度の研究には不可欠である。 スパルタ人自身の書き残した文書は現存していないが、スパルタの在り方をめぐって激烈な党争が繰り返され、それぞれの主張が文書化されたことはクセノフォンや後世の著作によって知られている。これらの作品を通してスパルタ人がどの様な過去の記憶を形成し、利用したかを探求する予定である。 最終年度に当たる平成27年度は前4世紀のアテナイが前世紀の自己と如何に対峙し、民主政と民衆の理想と利害を脅かすスパルタの支配やペルシア帝国を如何にイメージ化し、コリントス戦争やボイオティア戦争、レウクトラ以降の激変する国際状況の中で如何に過去を記憶化し言説化していったのかをイソクラテスやデモステネスなどの作品と博物館に展示されている考古学遺物を利用して接近したい。 最後に、3年に亘る個別研究の結果を比較検討し、ギリシア人が過去の記憶を構築していく環境と、記憶に期待した役割の多様性、そして共通する側面を明らかにしたいと考えている。
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