最終年度はアテナイの三十人政権の記憶が前4世紀初頭のアテナイにどのような影響を残したのかをケラメイコスに残る「ラケダイモン人の墓」とそのトポグラフィーから評価することと帝国時代の各地の民主派との関係再構築の動きを碑文資料で確認すること、及びアンドキデスの弁論を手掛かりにコリントス戦争期のスパルタとの和平の試みを再評価するという作業を行った。 ペロポネソス戦争に敗れたアテナイが民主政を復活させ、海上への影響力を拡大しようと模索する前390年代前半期のアテナイは帝国時代の記憶を積極的に活用し、各地の民主派との関係再構築を積極的に進めていく。スパルタに対して慎重な政策を展開したことは「ラケダイモン人の墓」に見られるし、アンドキデスの弁論や外国人への顕彰碑文はアテナイが海上覇権を当然の権利として主張していく根拠と手段、および過程を明らかにしている。スパルタとの二重権力体制はその後の前4世紀前半期を通してアテナイ外交の基本となっていく、その最初の段階を明らかにした。 さらにスパルタにおけるペルシア戦争の記憶の場として従来テルモピュライの戦いで戦死したレオニダス王の像とスパルタにある国立博物館に展示されている半裸体で描かれている重装歩兵の戦士像について疑問が近年提示されるようになってきている。スパルタ国立博物館がこの像について現在どの様に評価しているのかを確かめた。 本研究を通してペルシア戦争の記念碑、アテネに残るラケダイモン人の墓、そして前4世紀初頭の碑文を分析し、記念碑や墓、碑文が記憶の場として強く意識されていたこと、アンドキデスの弁論から過去の記憶が敗戦によって失われることがなく民主派の間で共有され、その記憶が政治行動の動機付けとなり、合理化の根拠とされてきたことを確認した。同時に記憶の場の設営は時代や社会の産物であり、記憶の捏造という行為も伴っていることも考察した。
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