研究課題/領域番号 |
25370889
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研究機関 | 滋賀県立大学 |
研究代表者 |
定森 秀夫 滋賀県立大学, 人間文化学部, 教授 (90142637)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2018-03-31
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キーワード | 大加耶 / 小加耶 / 高霊タイプ陶質土器 / 固城タイプ陶質土器 / 山字形金銅冠 / 玉田M6号墳 / 蔚珍徳川里Ⅰ─5号墳 / 強制移住 |
研究実績の概要 |
加耶地域における新羅系考古資料に関する発掘調査報告書などの文献調査と現地調査を実施した結果、例えば高霊タイプ陶質土器が出土することから大加耶連盟の一員であったハプチョン地域の玉田M6号墳から新羅系の山字形金銅冠が出土していて、同墳からは同時に新羅系陶質土器のコップ形土器も出土していることは大いに考慮されるべきであろう。この玉田M6号墳は報告書によると6世紀第2四半期とされ、私の年代観では高霊Ⅶ段階、6世紀前葉の時期である。『三国史記』には、法興王9(522)年に加耶国王が婚姻を求めたのでこれに応じ、翌年には王の巡幸時に加耶国王が来会したとある。この記事は玉田M6号墳の時期に当たる。出土地は大加耶の中心地である高霊ではないが、大加耶連盟と新羅との該当期の関係を考古学的に証明する一例と考えても良いだろう。また、小加耶の故地である固城の内山里古墳群、松鶴洞古墳などからは、新羅系陶質土器が6世紀前半の固城タイプ陶質土器とともに出土している。この固城地域では、固城独特の固城タイプ陶質土器とともに、高霊タイブ陶質土器、新羅系陶質土器、倭系須恵器が出土していて、上記した玉田M6号墳の新羅系遺物の出土様相とも考え合わせると、大加耶の海上への出口であったと同時に新羅が西進する地でもあったことが考えられ、小加耶のバランス外交の顕現したものと考えることができるのではないか。 新羅地域出土の加耶系遺物に関しても発掘調査報告書などの文献調査と現地調査を実施した結果、新例として蔚珍徳川里Ⅰ─5号墳から6世紀中葉の固城タイプ陶質土器有蓋高杯1点が出土していることを確認した。蔚珍は東海岸沿いで、高霊タイプ陶質土器が11点ほど出土した東海市チュアムドン古墳群から南へ直線距離で70km程度である。この蔚珍徳川里Ⅰ─5号墳の固城タイプ陶質土器は、やはり加耶滅亡に伴う新羅による強制移住と捉えることができると思う。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
平成25年度から27年度までの各年度の実施状況報告書において、「おおむね順調に進展している」として、その理由も報告してきた。 28年度は「新羅との対外関係を示す考古資料の調査研究」の研究計画をたてていて、関連する発掘調査報告書などの文献調査を実施するとともに、平成28年8月17日~23日、平成29年3月22日~28日の2回、各1週間ずつ、主に慶尚道・江原道を中心に博物館と遺跡を調査することができた。 研究実績の概要で述べたように、既出の考古資料の再検討から6世紀前半の加耶と新羅の対外関係の一端を読み取ることがでること、また新出の考古資料から加耶滅亡に際しての新羅による加耶地域の人々の強制移住の例が増加したことなど、28年度の研究はほぼ計画通り順調に成果を出せたものと考えている。
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今後の研究の推進方策 |
平成29年度は、本研究の最終年度であり、「倭との対外関係を示す考古資料の調査研究」という研究計画に基づいて推進していきたい。この研究計画に関しては、平成15~17年度基盤研究(C)(2)「日本列島出土朝鮮陶質土器の研究」において研究成果を得ているので、主にその研究以降の新資料に関して資料収集、分析、検討を発掘調査報告書などの文献調査および現地調査を通して行いたい。一方、韓国出土倭系遺物に関しても、発掘調査報告書などの文献調査と韓国現地調査を実施し、考古資料の収集、分析、検討を行いたい。 なお、平成26年度に予定していた中国南朝との対外関係に関する調査は、研究費の都合で平成27年度に延期したが実施できず、28年度にも計画したが実施できなかった。したがって、最終年度の本年度に中国現地調査を実施することにしたい。
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