加耶は、高句麗・百済・新羅のように統一国家を形成することなく、小国家連合を維持しつつ新羅に征服されるまで存続した。その間、加耶諸国相互間および新羅・百済・倭・高句麗・中国南朝との対外関係の在り様、変容などから加耶領域の変動・消長などを考古資料から検討した。加耶は考古学的には金官加耶・大加耶・小加耶・阿羅加耶の四つからなり、5世紀以降は金官加耶を除く三つの加耶が存続する。大加耶と小加耶は密接な関係であったが、三つの加耶は相互に独立し、かつその独立性が非常に強かったため、6世紀中葉に新羅によって滅ぼされてしまったと考えられる。
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