近世陣屋および陣屋町の形態を整理分類することが研究目的である。近世陣屋は城に比べて全国各地に多数あったことが知られている。数が多いがゆえにその施設配置からみた形態や構造、集落との位置関係などは多様である。多様であっても、陣屋にもたせる機能によってタイプ別に整理できるのではないかと考えてきた。 これまで東日本を主な対象地域として事例を集めてきた。飛地領において構築される陣屋は、城と異なり、一時的な領域を統括するために設置されていることが多く、その建物と付帯する施設の配置からみるとその構造は簡易である。飛地領の陣屋の立地や分布ならびの存続期間について、西日本各地に多くみられる大名が構築した陣屋と比較しながら検討をおこなった。西日本内では城に相当するものとして構築された本領の大名陣屋は近世初期に構築され、大名転封や改易がない限り幕末まで継続していた。また、領域の中心地として機能が強く、陣屋、侍屋敷地区、町屋敷地区を一体化させる傾向にあり、城下町に類似したタイプのものが多くみられる。その形態や構造からは、それらを一体化させるようなあきらかな意図を読み取ることができる。大名の飛地領、小規模な領域をなす旗本領、一時的な幕府直轄領が集中する地域では陣屋が集中して分布する。畿内および隣国、美作・備中は顕著にみられる。これらに比べて東日本内では、越後、出羽・陸奥の一部、関東の縁辺、東海の諸地域で大名の陣屋が比較的多くみられるが都市計画性はあまりみられない。また、幕府直轄領や旗本領が錯綜していたことからも西日本に比べて幕府代官陣屋や旗本陣屋の数は多かった。これらの陣屋は、近世中・後期にも新規に構築されることが例外ではなく、既存の集落に併置するように構築されていた。大名の飛地領では、幕府直轄領や旗本領と組み替えが行われることも多く、陣屋は継続かつ断続的に役所としての機能を果たしていた。
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