東シナ海域を漁場とする漁民の移動と移住を扱う本課題では、台湾東海岸にある一港町を研究の対象として定め、そこを往来する人びとについて、人類学的臨地調査と文献調査を行った。平成27年度においては、戦前から戦後にかけて調査地に居住し、その後も台湾漁民と重なる海域を利用してきた八重山漁民について調査を行い、また1990年代以降強い存在感を示してきた中国人およびインドネシア人漁業出稼ぎ者についての調査を実施した。漁場利用に加え民族集団関係の実態、特に信仰実践に焦点を当てた調査研究を行った。 1920年代より台湾東海岸で進められた植民開発事業の一環として築かれた漁港と移民村を基とした形成された調査地は、元来先住民族アミと台湾漢人が混住し、漁業領域においても両者がその主役となってきた。1990年代以降、そこに台湾外からの漁業出稼ぎ者が集まり、彼らがこの地の漁業を支えている。戦前より現在までの間、日本本土及び沖縄、中国、インドネシアの間を、この地で働く漁業者が行き来している。つまり、この地の漁業は、異なる民族集団に属する人々が交錯する産業領域である。本研究では、漁業領域における民族集団関係の実態について、漁撈の現場に留まらない陸上での生活をも視野に入れた調査を進めた。中国から来た船員とインドネシアから来た船員が、同じ港で寝泊まりをし、そして同じ船で台湾漁民と共に働いている。彼らの間では各民族集団の成員としての差異を互いに認識していると同時に、漁業者としての同一性が形成されている。また、彼らが台湾漁民と共に利用する黒潮が流れる海域は、戦前より中国南東部や八重山の漁民が長く利用してきた海域でもある。この漁場利用という観点から戦前から現在に至る海域認識について調査を進め、台湾への行き来と東シナ海漁業の利用について考察を進めた。
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