研究概要 |
本研究の目的は、「レグラエ」(regulae)研究史の中に、ロベール・ジョゼフ・ポティエ(Pothier, 1699~1772)の「レグラエ論」を位置づけることにある。ポティエには『新編ユスティニアヌス学説彙纂』(Pandectae Justinianae, in Novum Ordinem Digestae, 3 tom. 1748~1752)最終章D.50,17「レグラエについて」はユ帝『学説彙纂』のそれは断片的なレグラエの集合体であるが、ポティエの「レグラエ論」は、『学説彙纂』の全体的検討から得られた知見をもとに、体系的な構成を有する点で、法学史上独自の位置を占める。本研究は、ポティエの「レグラエ論」の全体を読解分析することにより、レグラエ研究史上においてポティエの法学がもつ意味を明らかにすることにある。今年度は、ポティエの直接的な先行研究にあたるクヤキウスによるD.50,17の註解をIacobi Cviacii ic. præstantissimi Opera omnia in decem tomos distributa 1658(復刻版)によりながら読解作業を行い、ポティエの註解との差違について1~10法文までの比較を通じてレグラエがそれぞれにおいてどのように理解されているかについての検討を行った。次年度以後の現地での調査準備のために、ルコント・ド・ビエーヴルLeconte de Bievre, Eloge de M. Pothier, 1772などを通じて、ポティエ自身の個人史に関する基礎的な検討を行った。レグラエ研究の通史的な見通しを得るためにJacobi_Gothofredi Regulae iuris tom I Geneva 1653近世を中心に関連文献の調査と収集を行った。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
ポティエ・レグラエ論の検討はおおむね順調に進展していると考える。現在、ポティエの先行研究者としてのクヤキウスによる同様のレグラエ論との比較により、それぞれのレグラエに関する考えたかの類似性、相違性を明らかにすることができると考えており、そのような比較検討を通じて、ヨーロッパ法学史においてレグラエという考え方がどのよう発想され、受容され、継承されてきたか、あるいは批判されてきたかという点についての指標が得られると考える。現地でのポティエに関する調査のため、フランス法制史のルジュ・ドシ教授と接触をとり、とくにオルレアン上座裁判所時代にポティエの状況、彼が関わった判決の有無などについて照会したところ、「旧体制時代の判例等は、インターネット上でも所在だけは検索できるはずであるが、オルレアン大学に在籍する法制史研究者の専攻が革命期立法であることからすると、オルレアン現地にあるかは不明である。仮りに、存在していたとしても、担当裁判官の名前が付記されていないので、判決のどの箇所をどの裁判官が書いたかまでは、特定できない。また、当時の判決は、事実の概要と、これに対する判決が記されているのみである。裁判官が判決を下す要因となる理由づけ(モチーフ)は一切書かれていない」などの示唆を得た。今後こうした点もふまえ、例えばポティエの評伝として、A.-F.-M. Fremont, "Recherches historiques et biographique sur Pothier" (Orleans et Tours, 1859)などによりながら、当時の公文書、書簡等など引用を手がかりに、これらの第一次史料の所在から一つずつ確認していかねばならないと考えている。
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