本研究の目的は,上記三井家町屋敷の一次史料と,明治中期~後期における三菱社・三菱合資会社の地所関係史料を素材として,①江戸・東京における土地投資と収益率の効果について量的解析を図るとともに,②徳川~明治期におけるそれとの接続を,これまでの申請者の研究成果に基づいて試行し,近世・近代都市における土地市場と不動産収益率の意義を日本経済史に位置づける点にある。 17世紀末期~20世紀初頭における江戸・東京の不動産収益率の推移は,鷲崎俊太郎「明治期東京の不動産賃貸経営における三菱の役割と意義」,『三菱史料館論集』第16号(2015年3月),165頁,第1図に示す結果となった。この収益率は,土地市場史・不動産経営史に,次のとおり位置付けられる。 第1に,不動産投資は投資対象という点で従来の貸付や農村の証文貸・大名貸とは異なり,土地建物という生産要素に対する投資行為のみを対象とした。第2に,利貸経営と不動産経営は,貸主にとって短期か長期かという投資期間という点で区別された資産運用だった。第3に,近代都市の不動産経営は,明治前期でも近世の町屋敷経営と基本的に変化せず,1880~90年代に旧武家地の官有地が払下げられた結果,土地集積性が高まり,公共社会資本が充実した点で大きく変化した。 従来,官営事業の払下げは,主に工場・鉱山の民間設備投資という側面に関心が寄せられたが,近代日本の民間形成資本という点では,土地資本の供給,とくに徳川幕府や大名から無償で接収した東京の広大な旧武家地がどのように民間の土地資本として活用されたのか,もっと関心を払うべきだとして結論づけた。以上の研究成果は,学位請求論文としてまとめられ,博士号の取得に繋がった。
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