ドイツの第二次世界大戦における戦時経済体制と資本主義との内的関連を明らかにするために、国家的な戦時政策と個々の企業の経済活動との中間にあって、両者を仲介し結合させる経済機構(経済集団・会議所)に注目し、戦時経済体制における国家的政策―経済機構―資本主義的企業・中小経営の関係を解明した。まず4カ年計画(1936年開始)と生産力拡充・経営合理化計画との関連、そこでの経済集団・ライヒ工業集団の役割、ついで第二次大戦勃発(1939年)以降の戦時経済体制の展開、とくに総力戦体制としてのトット・シュペア体制の下での委員会・リングと軍需企業との関係、そして最後に戦時経済体制の下での中小経営の状況について、ドイツ文書館での調査(ライヒ経済省関係の文書とライヒ軍需省機関誌にもとづいて、詳細に検討を加えた。本研究によって、これまで十分に解明されなかった、ドイツの企業体制(大企業と中小工業経営)と戦時経済体制の具体的な関連が明らかにになると同時に、個別大企業の状況に関する欧米の研究成果、中小経営者とナチス体制(全体主義体制)との関連をめぐる論争との関係が示され、この問題に関する全体的な研究の進展に貢献ができたものと考える。最終年度の研究成果は次の通りである。「ナチス戦時体制と『手工業』の経営閉鎖―ファシズムの社会的基盤との関連でー」明治大学『政経論叢』第83巻5・6号、2015年3月、「ナチス期の『手工業』組織の二元的構造―4カ年計画の中で―」(『政経論叢』投稿予定)。
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