研究課題
基盤研究(C)
戦間期におけるドイツの深くて長い大不況がナチス政権下で目覚ましい回復を遂げたことに関しては膨大な研究史の蓄積があるにもかかわらず、その経済政策が、当時、「起爆」 (Initialzuendung)と呼ばれていたことはこれまで全く看過されてきたように思われる。このコンセプトは、経済学者ヴィルヘルム・レプケに由来しており、景気の自動回復を前提として、景気の谷を抜けた後の景気上昇の促進を目的とし、その際には物価騰貴と財政拡大を抑制しつつ数量景気を実現することを企図するものであった。ナチス政府の景気回復政策となったこの「起爆」政策に関わって、ポンド・スターリングの金本位制離脱(1931年9月20日)より僅か3,4日前にライヒスバンク総裁ルターにより開催された秘密会議(9月16,17日)の議事録を取り上げ、同年7月半ば以後の金融危機のなかで景気対策プランとして、経済省の官僚ヴィルヘルム・ラウテンバッハによって提出されたラウテンバッハ・プランをめぐるレプケとルターの見解を軸に分析して、同プランのその時点での実施をひとまず「棚上げする」(aufheben)することがルターの意図であり、それに対応して「危機の自己治癒力」(Selbstheilungskraft der Krise)という結論が経済学者たちに支持されていったことを明らかにした。その上で、いったんは「棚上げ」にされた同プランが、景気の谷(1932年第4半期)を抜けた後の政策として再浮上してくることを示した。さらに、「ポンド・クラブ」(金本位制離脱を選択した諸国に関する当時の呼称)へのドイツの不参加が明らかとなった状況下で、景気研究所所長・国家統計局長のエルンスト・ヴァーゲマンによって提示された、金本位制の維持を前提とした景気対策であるヴァーゲマン・プランが却下されることになった文脈についても考察した。
2: おおむね順調に進展している
大不況の時期における「起爆」政策というコンセプトの経済史的意味を、リスト協会で開催された秘密会議議事録の分析によって明らかにしえたことで、ワイマール末期からナチス期への展開に新しい視点からアプローチしうるようになった。
ナチス期の主要な経済政策である価格政策の中で「起爆」政策が有した意義に関してさらに考察を深め、同政策が目指す数量景気の実現にとって極めてクリティカルな領域であった、需要が非弾力的な必需品である農産物に関しては、いかなる措置がとられたかを考察していく。
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Research Paper Series, Graduate School of Social Sciences, Tokyo Metropolitan University
巻: No. 139 ページ: 1-26頁