本研究は、1930年代初頭には欧州諸国の中で最深の後退を示したドイツ経済の、第三帝国における急速な回復について、それが、数量景気を追求した「起爆」によるものであるとの当時の指摘に注目する。このコンセプトはオルド自由主義のヴィルヘルム・レプケに由来する。本研究では、このレプケの起爆論の特質を、ラウテンバッハ・プランが棚上げとなる過程でレプケが果たした役割を分析するなかで、明らかにした。次いで、この景気回復は生計費の高騰を抑制しつつ遂行されたが、その過程で、価格政策の主導権が、国家食糧団から価格形成委員へと移動したこと、及びナチス食糧経済における所得均衡の課題が後退していったことを明らかにした。
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