他の主要林産国ではありふれた存在である巨大複合林産企業が日本には形成されなかった要因と、それが国内林業・木材産業の発展に及ぼした影響を明らかにするため、日米2国を主な対象に、林業・木材産業・製紙業間関係に関する比較史研究を行った。 まず、戦前期の日米両国における製紙業の原料調達方針の変遷をみた。日本では国有林への依存度が高く、山林資産への資本固定が小さい反面、国有林の方針変更に直接の影響を受けるなど、原料調達はやや不安定であった。これに対し、米国では、製紙会社が自ら林地購入やカナダでの伐採権取得を進め、長期安定的な原料調達を指向した。昭和に入ると、わが国でも、外地を中心に社有林を獲得しようとする動きが活発化したが、敗戦により、これらの外地資産は失われた。 第二次世界大戦後、外地からの原料供給が絶たれた日本の製紙会社は、内地の資源状況に適応すべく、広葉樹が利用可能なクラフトパルプ(KP)法への転換を急いだ。広葉樹資源は天然林に多かったため、天然林伐採が活発化し、人工林への林種転換を促した。また、広葉樹資源は所有が小規模・分散的な民有林に多く、大量安定調達が困難だったため、製紙資本は木材チップ工業からの原料調達に切り替えを図った。KP法は、設備が高額な反面、高品質のパルプを高効率に生産できるため、これをいち早く導入したわが国は、世界有数の紙・パルプ生産国に成長した。やがて国内原料のみでは賄い切れなくなり、輸入チップの導入が進んだ。こうして製紙業と国内森林資源の関係が希薄化するとともに、製紙業が製材業や合板工業などの産業部門を持つ必要性は薄れていった。これが、わが国に巨大複合林産企業の形成が進まなかった要因と考えられた。 最終年度は、製紙業に取り込まれなかったわが国の製材業や合板工業が、いずれも中小企業性に由来する問題を抱えながら発展してきたことを明らかにした。
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