大村英昭はかつて、「煽る文化」と「鎮めの文化」という図式を提唱した。大村の図式に基づいて、敗戦を挟んでその前に、将兵意識を煽るプロセスが、また、敗戦後には将兵意識を鎮めるプロセスが作動していたと想定する。 戦前・戦中には、高い国防意識を持ち、国のために生命を捧げることを当然視する若者を育成するために、マスメディアや学校教育を通じて、「煽るプロセス(または過熱のプロセス)」が働いていただろう。他方、敗戦後に帰還した旧軍の将兵は、国のために戦死することも厭わない戦闘員の意識を消去し、過熱した忠誠心から解放されて、非軍国主義的な市民となるべく、意識の衣替え作業を行なう必要があったろう。この作業のプロセスを、将兵意識の「鎮めのプロセス」と呼ぶことにしよう。 ある戦友会の参与観察により、戦友会の機能について、次のような仮説を導き出した。戦友会に集まる人々は、会合において、(1)軍隊における過去の振舞いの近似的な再現、(2)出征と戦場体験に関する物語の語りあい、(3)戦死者の慰霊祭、という3つの営みを通して、かつて身につけていた将兵意識を鎮める作業に共同で従事している。戦友会とは、出征と戦場に関する彼らの体験を、彼ら自身が新たに見直すためのひとつの装置である。 彼らの出征と戦争体験に関する物語のうちの一つのタイプは次のようなものである。国を守るために出征することを拒否することはできなかった。戦死した仲間は戦争の犠牲者である。戦死した犠牲者のために慰霊祭を行う。生き残ったわれわれもある意味で、犠牲を払った人間である。(以下は溝部による表現)太平洋戦争は、国を守るための戦争、すなわち自衛の戦争であったという見解を基礎にして、彼らの戦争体験の物語が語られているように思われる。
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