研究課題/領域番号 |
25380647
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研究種目 |
基盤研究(C)
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研究機関 | 大阪産業大学 |
研究代表者 |
斉藤 日出治 大阪産業大学, 経済学部, 教授 (10186950)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | 海南島 / 日本軍統治 / 住民虐殺 / 戦時性暴力 / 海南海軍警備府 / 昌江黎族自治県 / 侵略犯罪 / 「戦後」という歴史認識 |
研究概要 |
本年度は2013年10月‐11月と2014年3月の2回にわたって海南島を訪問し調査を実施した、ここに聞き取った内容は現地の文史資料でも明らかにされていないものがある。①1939年11月4日(農歴)に村人93人が殺害された昌江黎族自治県四硬鎮旦場村の聞き取りをはじめ、昌化江沿いの各村で聞き取りを行ない、日本軍による村落への襲撃、石碌鉱山における労働の強制と虐待、村民の逃亡生活の実態、家屋の焼却と食糧・家畜の略奪、女性の強姦、村民の監禁と虐待、乳幼児・女性・高齢者の無差別殺害の状況について体験者から詳細に聞き取りをすることができた。訪問した村は、黄姜村、光田村、旧県村、昌城村、浪炳村である。②東方市東河鎮旧村では、日本軍が森林を伐採するために地元の村民だけでなく、朝鮮人、香港人、マカオ人などを動員し、木材の切り出し、加工をさせ、その材木を運ぶ森林鉄道を敷設したことが証言によって明らかとなった。③澄邁県橋頭鎮沙土の13の村が襲われ1000人以上の犠牲者が出た地域のひとつである福留村を訪問し、村長から、当時の村民350名のうち生き残ったのが73人だけという話を聞いた。村長は殺害された村人の名簿を作成している。④臨高県加来鎮と楽東県向陽村で日本軍が飛行場を建設しようとして中国大陸から労働者を連行し、体の弱っている労働者が多数、病死あるいは餓死し、死体が放置され、そのため戦後になって、雨が降ると人骨が流れ出した、という証言を聞いた。⑤ 東方市東河鎮旧村、臨高県加来鎮、楽東黎族自治県の県城センター、陵水の藤橋などで日本軍施設と並んで慰安所があった跡を確認することができた。⑥日本軍による海南島の村民虐殺の事実が戦後日本の社会でまったく知られずにいることは、「戦後」という日本社会の歴史認識とそれによって成り立っている戦後社会のあり方と密接にかかわる問題であることを究明した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
これまでは海南島の東部の村の聴き取りが多かったが、今回2回の訪問で、島の西部の地域、とりわけ昌江黎族自治県の各村の聴き取りを進めることができた。この地域は橋が壊れているなど交通の便が悪くて訪問が困難であったので、被害の体験者からの直接の聴き取りは重要な意味を持つ。 日本軍の飛行場建設、森林の伐採、港湾建設などに大陸から連行された労働者が多数動員され死亡しているが、その実態についてはほとんどわかっていないので、地元の住民による証言が得られたことは貴重である。 そのほか、地元の文史資料にも記載されていない村民虐殺について聞き取りをすることができた。
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今後の研究の推進方策 |
日本軍による海南島の住民虐殺が、なぜ、どのような方針で行われたのか、について、日本軍側の資料の直接の確認や証言の聴き取りができないので、被害者の証言を通して総合的に明らかにする必要がある。困難な課題ではあるが、日本軍がなぜこのようなむごたらしい村民虐殺をおこなうことができたのか、を明らかにしなければならない。そしてその事実の検証がなぜ戦後長期にわたって日本の社会と政府によってなされてこなかったのか、を究明しなければならない。この問いは日本の社会のあり方の根幹にかかわる問いである。この問いを軸にして、今後の聞き取り調査を進めていきたい。
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次年度の研究費の使用計画 |
海南島の2回の調査で、使用額が超過したので、次年度に繰り越し、次年度予算で処理するため 次年度の予算で今年度執行した予算を処理する
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