本研究の目的は、「離婚後の親子の断絶」という日本的な家族規範はどのようにして維持されてきたのか、を明らかにすることである。このような家族規範が具体的な形として、時代を通じてもっとも顕著にみられるのは、「離別した親子の経済的扶養関係の切断」という事象である。そこで、この事象と深く関わる「家庭裁判所の履行確保制度」を分析対象とした。履行確保制度とは、家庭裁判所の調停や審判等で決定した具体的な義務(家事債務)について、それを守らない義務者に対して、家庭裁判所が履行を促す制度である。しかし、現行制度には法的強制力がなく、離婚後、別れた親の子に対する扶養義務の履行確保についても実効性に乏しい。よって、結果としてみれば、経済面での親子関係の切断を許容する制度となっている。 このような現行制度の問題を歴史的に検討すべく、制度の前史にあたる1910年代後半の家事審判制度の立法作業から、1956年に履行確保制度が法制化されるまでの議論について、政府審議会や帝国議会・国会の議事録、家事審判官会同の要録等を資料として、詳細に分析した。その結果、制定過程を通して、制度の実効性に関する議論が欠如していたことが明らかとなった。 さらに、これを家族政策の問題として探求すべく、上記の議論を「国家による家族への介入・不介入」という視点から分析した。その結果、家庭裁判所(戦前の議論では家事審判所)による家族への介入の論拠は、時代や議論の状況により一様ではなく、異なる立場から期待と警戒が向けられていることが判明した。そのなかでも注目される事実として、直接的な家族への介入となる制度については、保守的な家族観を超えた論者の間にも、その必要性と危険性の両極の主張がみられることが明らかとなった。
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