研究課題/領域番号 |
25380654
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研究種目 |
基盤研究(C)
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研究機関 | 千葉大学 |
研究代表者 |
井上 孝夫 千葉大学, 教育学部, 教授 (10232539)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | 水利権 / 田用水 / グリーンベルト / 陸軍成増飛行場 / 下練馬宿 / 水路敷 / 耕地整理 / 千川家 |
研究概要 |
本研究は都市の河川環境の悪化の要因をいくつかの事例に即して解明し、最後に中範囲の理論に基づいて集約しよう、という意図のもとに実施している。 第一年度の主要な調査対象として選んだ田柄川水系(東京都練馬区)は自然河川の時代から、農業用水や動力源として多摩川水系から引水して盛んに活用されていた時代を経て、住宅の増加によって下水道幹線に転用される、といっためまぐるしい変化を遂げた。その過程をここでは、江戸時代の絵地図や明治、大正、昭和の各時期に制作された地形図の解析によって跡づけ、また文献調査や郷土史研究会からの聴き取りによって検証していった。その作業をつうじて、河川の流路には幾多の変更が加えられていったことが明らかとなり、現在「水路敷」として残る水路跡も、農業用水路のほかに、旧河道や雨水を蓄えておくために掘った溝に由来するものであることが明らかになった。 このような変遷の過程で、水質悪化の決定的な要因となったのは、1940年代前半の時期に上流部の農地が軍用地として接収され、河川が排水路として改修されたことにあったことが確認できた。それでも田柄川は、1960年前後の時期までは農業と何らかの形で関わりを持っていたが、その後、農地の住宅地への転用がすすみ、河川は排水路としてその用途を変更して利用されるに至った。 この一連の経過を一般化すれば、この事例研究から導かれることは、①農耕地の軍用地への転換という国策と、②流域の産業構造が変化して農地の転用が進んだ結果、河川環境が悪化した、ということである。その意味で、「生活排水の垂れ流し」といった人間行動に原因を求める見解は皮相なものといわざるを得ないことが明確になった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究は三年計画で、毎年調査事例を変えながらすすめていくことを企図している。第一年度が終了した現段階でいえば、当初の計画をほぼ予定どおりにすすめることができた。何よりも、田柄川流域の変化を江戸時代の絵地図や明治、大正、昭和に作成された地形図によって跡づけ、『練馬区報』に収められた古老の証言録や郷土史研究会からの聴き取りによって新たな知見を付け加えることができた点が大きい。 その具体的な成果は、井上孝夫「田柄川流域開発史」(『千葉大学教育学部研究紀要』第62巻、255-264頁)にまとめることができた。 ただし、練馬区における「みどりと水辺の復活計画」や、工事進行中の都道(放射35号線)建設に伴う田柄川グリーンベルトの保全といった問題は、今後も継続中の事態であり、第二年度以降も可能な限り、現地調査をすすめ、必要なデータを集積させて、最終年度に予定している河川環境の保全と利用にかかわる評価のための素材として活用していく。
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今後の研究の推進方策 |
基本的には当初計画に沿ったかたちですすめていく。ただし、調査事例をより多様化させて中範囲の理論として最終的な説得性を高めていくことが必要ではないかという判断もあり、第二年度は当初から計画していた山口県下関市の武久川、壇具川、綾羅木川などとともに、①環境社会学の領域で先行研究のある神戸市の都賀川、②都市化の過程で河川を大きく改造していった岩手県盛岡市の北上川、③田柄川同様グリーンベルトとなっている東京都の前谷津川、谷端川、千川上水などについて、良好なまちづくりの推進、快適な環境の持続といった観点から調査対象として考慮していきたい。 また、第三年度に予定していた千葉県市原市の養老川水系については、昨年度から今年度にかけて、川や湖(高滝ダム)とかかわった芸術祭が行なわれていることから、一部、計画を前倒ししてデータを収集していく。
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