沖縄県の宮古・八重山に居住するフィリピン女性について、石垣島と宮古島を中心に、(1)アンケート調査による移動と定住のルートについての実態把握、および(2)インタビュー調査によるライフヒストリーデータの収集、とくにフィリピン女性どうしのエスニック・ネットワークと、キリスト教教会を介在した地域社会との相互行為についての語りの収集と分析を行った。 石垣島には、第二次世界大戦前から居住してきたエスニック・マイノリティとして、台湾系住民がいる。台湾系住民と比較した場合、フィリピン人はは、(1)圧倒的多数が女性であること、(2)結婚移民であること、(3)石垣市街地への集住が著しいことが特徴として挙げられる。また、世代を重ねてきた台湾系住民に対して、フィリピン女性たちは移民1世であり、文化の世代間継承などについては今後の展開となる。地域住民との関係は、キリスト教教会における奉仕活動やミサへの出席、記念行事におけるフィリピン文化の披露などのさまざまな貢献によって、高齢化する日本人信者たちに頼りにされるグループとなっている。また、フィリピン信者の家庭を持ち回りでマリア像が巡回し、そこで家庭礼拝を行うロザリオの儀式は、フィリピン女性たちのインフォーマルな集いとして機能していた。 宮古島では、周辺離島にもフィリピン女性が居住し、キリスト教教会よりもフィリピン人シスターが居住する施設にフィリピン女性たちが定期的に集っていた。日本人信者との関係は石垣島のそれよりも希薄であるが、地域の婦人会とのつながりが強く、フィリピン女性によるダンスグループが、地域住民の前でダンスを披露する機会があった。 石垣島と宮古島は、いずれも親戚や知人の女性を呼び寄せて結婚移民が増えていくチェーンマイグレーション、キリスト教信仰を介したネットワーク化と相互扶助が見いだせたが、地域住民との相互行為については相違が見いだせた。
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