沖繩縣立国頭愛楽園開園前後の歴史的経緯を実証的に示し、1931年に公布された「癩豫防法」と1938年11月の同園開園が沖縄社会及びハンセン病問題に与えた影響を考察し、愛楽園の社会的意義を示した。沖繩MTLは、1931年法を前提に会則を作成し、1931年法の有利を利用し、1907年法規定の病者保護を実施する独自路線をとった。療養所構築と病者保護を担う沖繩MTLの活動は、本土のそれと比して特異である。愛楽園開園により、重症者・困窮者は救済されたが、1931年法に基づく病型診断により、元気であるにも拘らず、収容を余儀なくされた病者も存在した点で、当時の沖縄の「癩豫防法」と療養所は両義性を孕んでいた。
|