研究課題/領域番号 |
25380999
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研究種目 |
基盤研究(C)
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研究機関 | 北海道教育大学 |
研究代表者 |
坂本 紀子 北海道教育大学, 教育学部, 教授 (40374748)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | 近代北海道 / 特別教育規程 / 教育所 / 特別教授場 / 北海道開拓 |
研究概要 |
1908年前後から1920年代後半までを対象として、産業構造の転換期に当たる北海道において、教育政策の展開過程と地域社会の教育実態を明らかにすることが研究の目的である。特に当該年度においては、北海道長庁が1903年に制定した「特別教育規程」について検討し、それが担った役割や教員の実態、そして学校と地域の関わりを明らかにすることが目的である。そのため道内でも「特別教育規程」の適用が多かった、河西支庁管内の帯広および芽室地域、そして空知支庁管内の歌志内地域を対象にして調査し分析を行った。 分析の結果、「特別教育規程」は、日露戦後に道内に移住した、経済的に困窮した人びとでも設置維持が可能な「簡易な」教育機関を複数(分教場、特別教授場や教育所)提供したこと、そのため多くの子どもたちが尋常科相当の教育機関に就学するという状況を作り出し、数字上、北海道は全国平均レベルの就学率を確保することができたことが明らかになった。しかし、その「簡易な」教育機関を設置した地域の移住民の教育費負担程度は、尋常小学校を設置していた地域よりも大きかった。したがって、教員も給料の安い代用教員を雇傭せざるを得なかった。「特別教育規程」は、日清、日露戦争を経て海外に目を向けた政府からの財政投資を引き出すことが困難な状況の中で、北海道の就学率を全国レベル並みに確保し、しかし教育費は移住民任せという道庁の安上がりな教育政策を具現化したものであった。しかしながら分教場や特別教授場、教育所よりも尋常小学校の設置を望んでいた移住民は、さらに自らが過重な教育費用を負担することで、尋常小学校を設置しようとした。そのため、この時期に「開拓」政策に参入してきた大資本の存在は大きな意味を持ち、それら会社や企業が学校設置のために土地や資金を提供をすることにより、尋常小学校の設置が可能になった地域が多かったことも明らかとなった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
当該年度に予定していた分析内容は以下のとおりである。 1,「特別教育規程」は第3次小学校令の就学督励を受け、日露戦争による緊縮財政の中で増加していく移住民数に対していかなる意味を持ち道内教育にどのような役割を担ったのか。 2,どのような地域の学校に「特別教育規程」が適用され、いかなる教師が任用されたのか。 3,「特別教育規程」と地域との関わりはいかなるものだったのか。 上記3点を明らかにすることができたため、研究は「おおむね順調に進展している」といえる。
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今後の研究の推進方策 |
次年度の研究の方向性は、1908年に改正された「特別教育規程」の内容について検討することである。具体的に以下3点の分析を予定している。 1,改正された「特別教育規程」と同年に改正された小学校令(義務教育年限が4年から6年に延長された)の関係を検討し、移住民にいかなる意味を持ったのかを分析する。 2,教育所の存在は地域社会において、他の尋常小学校や尋常高等小学校とどのような関係にあったのかを分析する。 3,地域財政が膨張する中で、移住民は教育費に対してどのように対応し、その際に教育所はどのような役割を担うことになったのかを分析する。
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