最終年度では次の内容を明らかにした。1915年、北海道では新たな「開拓」事業が展開し、それと並行して「特別教育規程」の改正および「北海道庁令第84号」を公布した。「特別教育規程」の改正は、「尋常小学校」と「教育所」という異なる初等教育機関の存在が移住民に違和感を持たせるとして、「教育所」を「特別な」尋常小学校と認めるものであった。道庁令第84号は、尋常小学校の教育内容および授業時数を地域の事情によって「斟酌スルコト」ができ、「開拓」事業の促進をはかるため子どもたちが「開拓」事業を助けることを容易にする内容だった。また1907年、室蘭に製鉄所や鉄工所が設立された。室蘭の人口はこれ以降急激に増加し小学校数も増加していった。設立された小学校には、企業からの寄付による特別教室等が設置され、教材教具に費用がかかる科目も加設された。しかし地域財政は豊ではなく、1900年には義務教育段階の授業料徴収は廃止されるが、当地域では尋常科の授業料を徴収していた。行政費の膨張に対して歳入が伴わず、授業料を徴収せざるを得なかったのである。 以上のような最終年度の内容も含めて、本研究の成果を総括すると次のようになる。1908年から1920年の産業構造の転換期における北海道では、急激な人口増加により初等教育機関も増加した。工業および炭鉱地域では、尋常小学校や尋常高等小学校といういわば正規の小学校が増加していったが、農業地域においては「教育所」「特別教授場」という初等教育機関が多く存在した。したがってこの時期は、地域によって子どもの教育環境の格差が際立っていたといえる。工業や炭鉱地域では、小学校でも授業料を徴収しており、府県よりも教育費の負担率が高かった。このような北海道の実情は、これまで明らかにされなかった内容であり、日本の資本主義社会確立期における北海道の位置づけをとらえなおす成果であるといえる。
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