研究課題/領域番号 |
25381005
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研究種目 |
基盤研究(C)
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研究機関 | 宮城教育大学 |
研究代表者 |
吉村 敏之 宮城教育大学, 教育学研究科(研究院), 教授 (80261642)
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研究分担者 |
本田 伊克 宮城教育大学, 教育学部, 准教授 (50610565)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | 授業記録 / 授業研究 / 教師教育 / 『教育論叢』 / 瀬川頼太郎 / 群馬県玉村小学校 / 『草原』 / 岸智 |
研究概要 |
1930~50年代日本の教師による教育記録の作成と指導力の形成に関する研究を進め、以下の3点の成果をあげた。 1.『教育論叢』誌上の「学級児童観察記録」についての内容の検討:1937年7月号から1941年9月号(戦時体制による終刊)まで掲載された、教師が担任学級の子どもの姿を描いた記録101点の著者とタイトルのリストを作った。東京の小学校教員、本田正信の記録について、子どもと学級への見方の変化を示した。編集者の瀬川頼太郎が提唱した「集団主義教育」の影響を受け、1931年度に3年生を担任した際、個人の進歩には学級集団の発展が不可欠であると認識した。以後、様々な「関係」の中で子どもをとらえ、「関係」の力で教育した。 2.群馬県玉村小学校研究誌『草原』の内容の検討:第1号(1935年8月)から第10号(1943年1月)まで、斎藤喜博が中心になって刊行された『草原』誌には、教室の子どもの姿が記された。特に最終の10号は、新任期の4人の女性教師が、子どもの事実を詳細に見て学級集団を組織する日々の実践を綴った記録の特集である。記録を書いて指導力を高める教員文化は、戦時体制下でも継承され、1950年代の島小学校の「授業の創造」につながった。 3.生活綴方教育に取り組んだ教師の記録の収集と内容の検討:1930年代に山形県、秋田県で実践された生活への認識を高める教育は、治安維持法で弾圧された。しかし、子どもに地域社会における課題をとらえて生き方を考えさせる教育は、1950年代の社会変動の中で盛んに取り組まれた。実践の蓄積があり、先行研究で注目された東北地方のみならず、埼玉県の農村(東松山市郊外)でも、中学校教員の岸智が熱心に取り組んだ事実を示す資料(文集、実践記録)を発見できた。サッカー指導でも卓越した力量を備えた岸の足跡をたどり、記録の作成による指導力形成の意義を解明する必要がある。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
1930年代、『教育論叢』誌の「学級児童観察記録」と群馬県玉村小学校『草原』誌に掲載された教室の記録との間に類似性があることを示した。編集者 瀬川頼太郎と交流のあった教師 斎藤喜博が、1950年代に島小学校長として、実践記録作成による教師の指導力向上を進めたことを確認した。さらに、島小学校の「授業の創造」を先導した船戸咲子、1970年代に転任先の学校でも記録を取り続け、「卒業論文」を書ける子どもたちを育てた事実を明らかにした。 1950年代、埼玉県の農村(東松山市郊外)の中学校教員として生活綴方教育に取り組んだ岸智の資料(文集、実践記録)を発見した。社会変動の激しい時代における生徒の成長を支えた教師の実践を解明できる。
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今後の研究の推進方策 |
1.『教育論叢』誌の「学級児童観察記録」が多数掲載された教師、古屋武と宮本玲子について、実践の特質を解明する。 2.1930年代群馬県玉村小学校『草原』誌から1950年代島小学校の授業記録へと継承され、さらに1970年代東小学校での船戸咲子の実践へと受け継がれた事実について、展開の過程を解明する。 3.1950年代に埼玉県東松山市の中学校教員として生活綴方教育に取り組んだ岸智の実践について、展開の過程を解明する。
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次年度の研究費の使用計画 |
年度末に、研究成果の社会的還元のため、収集した映像記録を視聴するための機器の購入を予定した。しかし、消費増税による駆け込み需要のため在庫不足の状態に陥り、25年度中に入手できなかった。 前年度に計画した視聴覚機器を入手できる状況になったので、購入して、研究成果の社会的還元に活用する。
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