研究実績の概要 |
日本に心理学が輸入される過程を学校教育制度の施行との関連で明らかにした。心理学の導入は、大学の設置と底でのカリキュラムと関係して、開設の初期から一般教養科目として用意されていた。その後、師範学校の開設とも深く関わり、教育学の一領域として履修科目として定着していく過程を文献研究で明らかにした。他方で、戦前・戦中の教育に関わる心理学は、日本のアジア進出、とりわけ中国東北部(旧満州国・現在の吉林省など)、台湾・韓国への進出と深く関係していた。 まず、文献研究では学校教育、大学教育、師範教育、そして教科目の変遷を分析した。日本は、19世紀後半、西欧化を急速に進めた。学校教育を普及させたのもその一環だ。心理学に関わって言及するなら、人間の心身の発達に関わる科学、学問として積極的に教育に導入された。1868年の「學制」では大学と専門学校は明確に区別されていなかった(教育史編纂会, 1938a)。1877年(明治10年)四月二十一日、文部省第二號布達「文部省管轄東京開成學校東京醫學校ヲ合併シ自今東京大學ト改稱候篠此旨相達候事」(開成学校)、「東京大學ニ四學部ヲ置舊東京開成學校ニハ理學部法學部文學部ヲ置舊東京醫學校ニハ醫學部ヲ置候事」(東京大學)が出され、初めて官立の大學が設置された。 現地調査では、臺灣と中国東北部延辺朝鮮族自治州延吉市の戦跡を訪問し、展示資料と現地関係者からの聞き取りを行った。「敎育の心理學」が研究領域・分野として定着する時代的背景を明らかにするために、1880年代後半から1900年代中頃までの日本とアジア諸国の関係を探った。「大東亜共栄圏」の建設の大義名分の下、日本が東アジアの植民地支配を拡大させる中で、日本式の学校の設置と教育の普及・浸透、日本語使用の強制を通じた現地教育の支配、これらは皇国民への教化策として最重要課題であった。
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