従来わが国では、当該テーマに関する研究関心がバウハウスに集中し、アカデミー改革の視点が、旧プロイセン邦以外の地域に住む人々による芸術アカデミー改革努力と文化的胎動という関心にまで及ばなかった。 本研究ではそこで、南西ドイツのシュトゥットガルトの[芸術]アカデミーに位置するA・ヘルツェル、並びにヘルツェル門下に位置する一連の中心的芸術家・芸術学校教授達を取り上げ、シュトゥットガルトにおいて、ヘルツェル学派の改革的伝統がいかなる端緒から形作られたのか、この点を研究しようと挑戦し、本論テーマに関わる一連の研究成果を得ることとが可能となった。
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