研究課題/領域番号 |
25381029
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研究種目 |
基盤研究(C)
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研究機関 | 広島大学 |
研究代表者 |
鈴木 理恵 広島大学, 教育学研究科(研究院), 教授 (80216465)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2018-03-31
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キーワード | 咸宜園 / 学問塾 / 漢学塾 / 広瀬淡窓 / 漢詩教育 / 月旦評 |
研究概要 |
本研究は、咸宜園の能力主義教育や門人ネットワークが、地域的にどのような拡がりをみせ、近世から近代への移行期の社会や教育にどのような影響を及ぼしたのかについて、西日本における門人の活動に注目して実証的に明らかにすることを目的としている。具体的には、①西日本に展開した咸宜園系譜塾の全体像を把握すること、②おもな系譜塾の教育内容・方法について明らかにすること、③三亦舎(咸宜園門人が現広島県に開設)と成美園(三亦舎門人が現広島県に開設)の門人の社会的活動やネットワークを明らかにすること、を目指している。25年度は、おもに①と、②③を実施するための準備・基礎作業を進めた。 25年度は基礎的作業に終始したため、めぼしい研究成果は未だないが、作業過程で咸宜園教育方式が予想以上に広まっていたことがわかってきた。本研究では、咸宜園門人が帰郷後に咸宜園教育方式を踏襲して開設した漢学塾を「系譜塾」ととらえていたが、咸宜園門人でなくとも咸宜園教育方式を導入した漢学塾も見られた。また、門人が藩校や郷学などに咸宜園教育方式を導入したとみなされる事例もあった。 従来は、咸宜園教育方式といえば三奪法・月旦評などに象徴される能力主義が注目されることが多く、本研究でもその点を重視している。しかし、咸宜園の影響力はそれにとどまらないこともわかってきた。広瀬淡窓の教育観、自治を重視した寄宿生活、職任制、蔵書管理など、多角的に検討する必要がある。職業人としての教師の地位が確立していなかった江戸後期において、広瀬淡窓の教育観は、門人をして、師としての教育のあり方を学ばしめる作用があったのではないか。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
初年度である25年度は、研究の基礎的作業や準備の期間と位置づけていたが、次の諸点の理由で順調に進展しているとみなせる。 まず、大分県日田市の咸宜園教育研究センターに赴いて情報を収集することから始めた。同センターでは、咸宜園門人の退塾後の動向について調査研究を進めているので、本研究にとって必要な門人に関する情報を得ることができた。それをもとにして系譜塾の調査を進めることが可能となった。特に同センターが2013年3月に出した報告書『廣瀬淡窓と咸宜園―近世日本の教育遺産として―』のなかで筑後地域における系譜塾の普及が明らかにされており、本研究におおいに参考になる。 第二に、自治体史調査を通して、九州北部地域の系譜塾を把握した。第三に、咸宜園門人名と『日本教育史資料』記載の漢学塾主名との照合については、一部しか終えられなかったので、26年度に作業を急ぎたい。いっぽう、明治期におこなわれた教育沿革史調査関連の史料から、『日本教育史資料』に掲載されなかった藩校・郷学・漢学塾の教育方法の詳細がうかがえた。これによって、咸宜園の影響を検討することができた。第四に、僧侶門人の寺院中現存するものに調査票を送付するための準備を整えることができた。第五に、系譜塾(蔵春園、修文館、池上塾など)での史料調査の準備をする予定であったが、蔵春園と水哉園については25年度に史料調査を実施することができた。広瀬資料館において咸宜園蔵書調査もおこなった。
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今後の研究の推進方策 |
本研究課題を推進するためには、系譜塾調査を進めて、西日本にどの程度の開設数があったのかということを確定する基礎作業を終える必要がある。自治体史や教育沿革史関連史料の調査、咸宜園門人名と『日本教育史資料』記載の漢学塾主名との照合といった作業を進めていきたい。 基礎作業が一段落すれば、特に史料が豊富に残されている系譜塾を取り上げて調査を実施し、その教育内容・方法を明らかにしたい。塾主の日記や塾の蔵書を分析することを通じて、塾の日常的教育のあり方、塾主の教育観などを明らかにすることにより、咸宜園の影響関係を検証する予定である。 三亦舎と成美園の門人の社会的活動やネットワークを明らかにする作業も進める。
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次年度の研究費の使用計画 |
出張旅費や物品費として使用できるほどの残額ではなかったので翌年度に持ち越した。 次年度使用額は、平成26年度予算とあわせ物品費に使用する。
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