研究課題/領域番号 |
25381043
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研究機関 | 慶應義塾大学 |
研究代表者 |
佐久間 亜紀 慶應義塾大学, 教職課程センター(三田), 教授 (60334463)
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研究分担者 |
高橋 哲 埼玉大学, 教育学部, 准教授 (10511884)
末冨 芳 日本大学, 文理学部, 教授 (40363296)
荒井 英治郎 信州大学, 学術研究院総合人間科学系, 准教授 (60548006)
布村 育子 埼玉学園大学, 人間学部, 准教授 (70438901) [辞退]
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | 教職の専門性 / 教職の専門職性 / 聖職 / 教師教育 / 教員政策 |
研究実績の概要 |
第一に、日本における教職=専門職像と米国のそれとの相違点を史的に明らかにした。明治初期に初代文部大臣森有礼が参照した教職像は、森が視察した米国州立師範学校における教職像であった。これは、米国が神に愛された特別の国であり、国への献身は神への献身であるという認識に基づいて、教職=聖職=専門職という教職像であった。森はこの19世紀米国プロテスタンティズムに基づく教職像を日本に移入する際、キリスト教における「神」を「国」へと置換していた。したがって米国の教師=聖職像の権威は神に由来するが、日本の教師=聖職像の権威は国家に由来する位置づけとして基礎づけられることになった。これにより、森自身の国家主義観自体は伊藤博文や元田永孚の国家主義と異なるものだったが、森が暗殺された1889年に大日本帝国憲法第三条によって天皇が神格化されて以降、国家=天皇=神の権威が教職の権威の源泉となり続けていったという、史的展開に関する一仮説が提示できる。この点で、米国における教職=専門職像と異なり、戦後日本における教職=専門職像は国家主義に環流するメカニズムを内包する点を指摘した。 第二に、戦後日本の教員政策は、1969年の人材確保法、1971年の給特法に続いて、1971年中教審答申に、教職は「高い専門性と職業倫理によって裏づけられた特別の専門的職業」であるとする方向性が示され、1978年~1981年新構想三大学の設立、2007年教職大学院の設立など、1960年代後半から一貫して、実際に教職の専門職化が目指されてきたと解釈できることが明らかになった。しかし、新構想大学の設立過程や、地方公務員における教職決定メカニズムの決定過程の検討を通して、日本において「特別の専門的職業」としての教職をめざす政策は、必ずしも教職の待遇や社会的地位、すなわち教職の専門職性を下支えする改革を伴っていなかったことを明らかにした。
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