本研究の目的は、20 世紀前半における日本のアジア教育認識および、それに対応する朝鮮・台湾側の教育認識を明らかにし、それら教育認識の教育政策、特に植民地教育政策との関連を解明することである。 本研究においては、主として朝鮮総督府の機関誌であった『京城日報』からの教育関連記事抽出を行ない、その分析を行なった。それは、朝鮮において1920年代に、『朝鮮日報』、『東亜日報』、『時事新聞』という朝鮮語新聞が発刊され、これら民族系新聞の発刊は一つの民族運動としてとらえられ、拙著『日本植民地教育の展開と朝鮮民衆の対応』はじめ、先行研究の中でも取り上げられ、その記事が分析されている。それに対比して、朝鮮総督府の機関紙という性格を持った『京城日報』については、その性格故、同等の取り上げ方がなされていない。しかし、日本語紙という性格から当時の朝鮮社会において権力を握っていた日本人をはじめとする権力層に読まれていた新聞であり、その層に対しての報道媒体としての一定の影響力もあり、また権力者側の意思の分析のためにも、その分析が必要なものである。また、日本人を主たる購読者とするということから日本国内の言論とも共通する見識を持っていた。 植民地教育政策研究にとって、教育政策の受け手であった民衆や、社会構成員各層の受け止め方を、権力者側の意思との対比の中で明らかにし、その齟齬を明らかにしていく作業は、台湾と朝鮮における教育政策の展開の具体的過程における、日本のアジア教育認識、およびそれに対する朝鮮・台湾の民衆側の教育認識、またそれが日本の国内のアジア教育認識を明らかにする手がかりとなった。
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