最終年度も引き続き新設医大設置関係の資料収集に努めた。昨年度までの資料渉猟経験により、県公文書館等の保管施設に誘致関係資料が多く残されていることを知り得たため、香川県立文書館、宮崎県文書センター、静岡県歴史的文書閲覧室などを訪問し、文書の閲覧を申請した。とりわけ香川県立公文書館では、香川医大誘致の陳情活動の報告や、設置決定後の文部省との折衝報告などを発掘し、設置場所の箇所付けや地元負担の具体的内容が煮詰まっていく過程を明らかにすることができた。また、補充的調査として、山梨、滋賀などで医大誘致関係の地方新聞の検索と複写を行った。 国立高等専門学校の場合と同様、医大新設では地元負担が常態化していたが、その背景として①無医大県の解消という国策が、県どうしの設置順序をめぐる争いを生み、県側も地元負担を優先順位を上げるために活用した可能性があること、②初期に設置された医大に関する地元負担が「前例」となって文部省も県もそれに準拠しようとしたこと、を指摘することができた。 また増設に際しては、設置形態が既設大学での医学部増設から単科医大新設へシフトいった。これについては大学のあり方をめぐって異論も生じていたが、順位争いを重視する立候補地においてはさほど先鋭化しなかった。誘致運動の加熱が、単科医科大学という新しい大学の組織を結果的に受容するように機能したともいえる。 なお、今回の研究成果については、「国立医科大学誘致運動を地元負担」という題目で、2015年11月に開催された日本教育制度学会(奈良教育大学)において発表した。
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