本研究は、1970年代の日本における国立医大の増設とその際の地方における誘致運動を検討することで、地方に国立医大が設立される意味と、誘致に際する地元負担の額が均質化される過程を検討しようとするものである。文部省は国立高専設置の際と同様に設置地域の財政的な協力(地元負担)を求めた。これに対し自治省は、地方財政法上問題があるとして文部省に申し入れを行ったり、県に安易に応じることのないよう注意を促す。自治体も誘致を競い合う一方で負担額について協議していた。 その結果、地元負担の内容はほぼ均質化されることとなり、同時に、自治体の早期開設を望む姿勢が単科医大という新構想大学を受容させることになった。
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