本研究においては、戦後日本の義務教育国庫負担制度とその改革論について、戦後初期から同制度のの確立期に至る期間を検討した。 第1に、戦後初期に、教育財政制度改革論としての公立義務教育学校教員給与全額国庫負担論が、一時期優勢となりながらも、結果的に挫折した経緯を明かにした。第2に、戦後の一時期義務教育費国庫負担制度が廃止されたが、この時期における教育委員会の活動を、岐阜県を事例として検討し、地方教育行政の主体形成が促されことを明らかにした。第3に、戦後における義務教育費国庫負担制度の確立を軌道づけた義務教育標準法(1958年)の成立過程に関わって、佐賀県教職員組合事件の持った意味を明らかにした。
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