城址において天守は象徴的な文化的景観である。明治維新に伴い多くの城郭建築は取り壊されたが、天守や大手門などが残された事例もある。そうした城郭建築はその後積極的に保存されることになった。このうち保存天守について、その取り組みや利用方法などについて、実態的な調査を進めた。並行して近代の天守といえる模擬天守閣の建設についても事例調査を進めた。特に構想のみに終わった、いわば幻の模擬天守閣の計画があることがわかった。それらの事例を抽出し、その背景や意図、そしてなぜ実現しなかったのかについて、資料の発掘とともに分析を行った。保存天守の相対的価値を分析する上で重要な意味を持った。 城址の土地利用は、すぐれて近代化における都市づくりの性格があらわれる。すなわち風致や遺構の保存を含む文化的景観と近代的土地利用による景観形成の相克がみられる。これは濠や架橋にも影響を与える。官庁街や軍用施設などの公共施設の立地では同じ近代施設であっても、一般利用からすれば大きな違いがあった。特に明治中期に払い下げられた城址におけるその後の土地利用について相対的な分析を進め、一般開放の有無、公共利用の有無などから、それぞれの都市における城址の位置づけを考察した。また個別事例として払い下げられた後の秋田(久保田)城址の公園化についても秋田県や秋田市の行政資料や議会資料をもとに、その背景と経緯を明らかにした。招魂社の移転を主眼とした招魂祭場の確保の意図がわかった。
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