東洋趣味や日本趣味との関連をうかがうことのできる米国の建築家にH.H.リチャードソンがいる。ペイン邸はその好例だ。施主は、アメリカ独立宣言署名者の一人、ロバート・トリート・ペインの孫。ペイン邸一階のホール天井を見ると、短冊状に切り分けられた内側の全面に金箔が施されている。これを金箔張りの格天井の再現と言うと、多少大げさに聞こえるかもしれないが、あきらかに日本趣味をアレンジしたことがわかる。また、ホールの壁面に目をやれば、日本の家紋が装飾として写し取られ、やはり金色に輝いている。 19世紀末アメリカ東海岸で一世を風靡した日本文化に、リチャードソンも動かされたと見る説は少なくない。そして、この説のキーマンとして、動物学者のエドワード・シルヴェスター・モースが浮上する。モースは、1877-79年に来日し、東京大学で動物学を講じた。モースは本業の傍ら、日本の建築文化に強い関心を持ち、帰米後、ボストン美術館の連続講演で、日本の寺社、田舎の民家を幻灯機で紹介した。当時最新の視覚情報に、リチャードソンをはじめ多くの建築家が関心を寄せたのである。彼がマサチューセッツに手がけた駅舎には、大ぶりの屋根、モースが紹介した日本建築に特有の深い軒をもつ屋根に共通する形態が見られる。リチャードソン自身が日本建築についてあれこれと言及することこそないが、たとえどんなに間接的だったにせよ、ボストン屈指の建築家に日本文化の摂取があったことは確かである。
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