青森県東通原発についての白糠漁協内での対立・収束過程を、当漁協内の「対策委員会」議事録の精査、当時から在職している漁協参事からの聞き取り調査によって検証した。すなわち、昭和51年の東京・東北電力による海象調査の説明申し入れから、最終的に漁業補償が妥結し、補償金の分配が終わるまでに18年かかったが、この間の「対策委員会」を舞台とした対立から収束にむかう過程を整理した。特にチェルノブイリ原発事故後は、反対派の組合員が「対策委員会」の委員長になったこともあり、具体的な議事は進行しなかった。しかし、その場合でも東北電力との「交渉打ち切り」にはならず、交渉が「中断」したにすぎない。なぜなら、「絶対反対」は少なく、「条件付き」の反対や賛成の立場の者が多かったからである。専業漁家には「絶対反対」が多かったが、組合員のなかでは少数派であり、青森県知事の二度の斡旋によって東北電力が補償額を増額させると、行政からの説得もあって、やがて賛成派が主導権を握った。 他方で、山口県祝島では住民の相当数から構成される「島民の会」は一貫して上関原発に反対の立場を維持している。その中心となる運営委員達は「産直センター」でのひじき採補・加工などで生業を維持しており、原発に依存する必要を感じていない。 福島原発事故後の福島県内での対応に関しては、いくつかの事例を検証した。特に研究分担者2名は県内の農村等での「地域再生」や「被災者住民の現状」について調査・研究をすすめた。 本研究では原発問題と村落社会の関係が主たるテーマであったが、白糠と祝島を比較すると、その村落社会のおかれた状況(立地、生業、出稼ぎ等)とともに住民自身の創意工夫によって、原発への対応のあり方が異なってきている。今後は福島県での事例も参考にしながら、白糠での対立が収束に向かった契機等から当地と祝島の差異を考察していく。
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