本研究においては、日本、インドネシア及びフィリピンの開発政策・事業の政治経済学的分析を通じ、開発の環境リスクが外部化され不可視化されるメカニズムを分析した。日本の原子力政策では、政府・電力会社によってリスク・コミュニケーションが歪められ、原発安全神話の維持が可能となった。インドネシア及びフィリピンの天然資源開発では、事業者-地域住民及び中央政府-地方政府間の不均衡な力関係によって、環境リスクが住民に押し付けられる構造を論じた。 先進国・途上国の別なく新自由主義的な開発政策・事業は、本来内部化すべき環境リスクを周辺に移転し、レント=シーキングを可能にすることで資本蓄積を可能にしているのである。
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