捕鯨といえば、南氷洋で実施されている調査捕鯨(鯨類捕獲調査)に注目が集まるものの、日本における捕鯨はそれだけではない。たとえばIWC(国際捕鯨委員会)管轄外のツチクジラとゴンドウクジラ類を対象とした商業捕鯨が沿岸の小型捕鯨業者により実施されている。具体的には、赤嶺と山口は、宮城県石巻市牡鹿半島において、小型捕鯨業者の個人史の聞き書きをおこなうとともに、赤嶺による和歌山県東牟婁郡太地町のイルカ類の突き棒漁師の個人史の採録から、日本における捕鯨の多様性を明らかにすることができた。とくに沿岸小型捕鯨業と突き棒漁に従事する人びとのなかには、かつて南氷洋での商業捕鯨に従事していたものが少なくないことを明らかにし、捕鯨技術・知識の継続性を指摘したことは、重要である。同時に、赤嶺は、福岡県北九州市の市場で鯨肉を50年以上にわたって小売りしてきた鯨肉店主と大阪市で鯨食専門店を経営する女将に個人史の聞き書きをおこない、捕鯨産業の裾野の広さを提示した。南氷洋での母船式捕鯨と大型沿岸捕鯨船による商業捕鯨が一時停止となった1987年以降、いわゆる調査捕鯨が開始された訳であるが、この移行期に捕鯨者をはじめ、鯨肉店主、鯨肉料理店主など捕鯨産業関係者らが、捕鯨産業の将来にいかなる展望をもっていたかを比較検討した結果、従来、説明されてきたような調査捕鯨を「商業捕鯨の一時停止」以降の「疑似」商業捕鯨とみなす見解に修正を迫ることができた。そのことは、商業捕鯨時代はもとより調査捕鯨においても、一貫して解剖長をつとめたO氏による「単なる調査でなく、いい調査をするためには、胃袋の中身を傷つけてはならず、こうしたことは商業捕鯨時代には考えられなかった」という一言に集約されている。つまり、捕鯨業関係者の個人史を束として採録することにより、捕鯨史をより多面的に捉えることが可能となった。それが、本研究の実績である。
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