1882年03月01日から1891年09月30日までは、ほぼ網羅的にテキスト化が終了し、2014年09月までに1424編をHPにアップロードした。続く1891年10月01日から1898年09月30日までが最終年度にするべきテキスト化作業であった。当該期間の社説総数は約2200編、そのうち900編程度が既に全集に収録されているため、全集未収録社説は1300編程となる。結果としては最終年度に約800編をテキスト化したため、本研究内での積み残しはおよそ500編である。 研究期間全体を通じて実施した研究成果について話を進める。まず平山洋『福沢諭吉の真実』(2004)以降、現行版全集「時事新報論集」を無制限に福沢の思想とすることはできなくなった。その場合の方向性は、(1)自己の研究の立論を福沢関与の証拠のある社説のみに限る(小川原正道)、(2)全集未収録の社説も福沢関与とみなす(安川寿之輔・杉田聡・坂井達朗・平石直昭・都倉武之)の二つである。(1)では立論の規模が小さくなる恐れがあり、(2)では『福翁自伝』での福沢自身の証言と矛盾する。私が推定した福沢諭吉社説が受け入れられることにより、研究者全体に共通の場が開かれるはずである。 近代日朝関係を主題とした月脚達彦『福沢諭吉と朝鮮問題』(2014)と『福沢諭吉の朝鮮』(2015)は平山の社説判定をある程度評価して立論している。領土拡大の欲求を伴わないという点で平山と一致するが、平山の見るところ石河による社説「対韓の方針」(18980428・昭和版所収)を重要視するところに過誤がある。推定福沢の「朝鮮獨立の根本を養ふ可し」(18980504・全集未収録)は「対韓の方針」への反論として書かれたとも考えられる。 昭和版『続福澤全集』「時事論集」への石河の社説採録は、あくまで1932年の価値意識でなされたことに留意するべき。たとえ福沢の社説であっても、時局にそぐわないものは排除されているのである。
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