研究課題/領域番号 |
25580021
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研究機関 | 東日本国際大学 |
研究代表者 |
本多 創史 東日本国際大学, 公私立大学の部局等, 教授 (40528361)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | 医学史 / 遺伝学史 / 思想史 / 近現代日本史 |
研究実績の概要 |
今年度は、1930年代後半から50年代までの近代日本における医学者の言説のうち、優生学に批判的な研究者のそれを収集することができた。 それらの分析により、①一般に、1940年に国民優生法が成立・施行されて以降1948年までの間におこなわれた優生手術はさほど多くなく、1948年に優生保護法が施行されてから、その数が急速に増加したと言われているが、そのような統計的数字だけに基づいて1940年代に定められた国家の方針が戦後も継続・発展していくという歴史記述には一定の留保が必要であることが判明した。 ②具体的には、戦前(1942年)、外国では生殖細胞決定説に対して環境影響説を主張する者があらわれ、日本国内でもそれを的確に理解し、同意した医学者がおり、そうした医学者は、遺伝子決定説に批判的にならざるを得ない以上、遺伝子決定説に基づいた優生学・優生手術を批判することとなったのである。 ③すなわち、1940年代以降、優生思想が徐々に力を持ち、社会に広がっていくという見方は間違っているとは言えないが、その一方で、現在から見ても卓見としか言えないような理論的な高みに到達して優生学と優生手術を批判していた研究者が幾人かは存在していたのであり、そうした批判者たちの系譜をたどり、再評価することも必要であることが判明したのである。換言すれば、もうひとつの歴史が描ける可能性があるということにほかならない。 ④しかも、そうした研究者たちは、戦後において、ひとりひとりの人間を人間として尊重するというデモクラシーの思想を明確に打ち出しており、科学的学説と思想とが結びついて優生学・優生手術批判をおこなっていることがわかる。科学の学説と思想とが噛み合ってひとつの立場を形成していることは、思想史の観点から興味深い事例であると言える。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
大学の公務が多く、海外に直接出向いて資料を収集するという計画が進んでいないため。
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今後の研究の推進方策 |
フランス、イギリスに出向き、1940年から50年代の遺伝学者、生物学者、医学者の言説のうち、日本に影響をもたらしたものを書籍もしくはそのコピーの形で収集する。 近代日本の優生学の主流をなした医学者たちと、それを批判した医学者たちのそれぞれの言説を比較検討する。 以上をおこなうことによって、近代日本における優生学の思想史を描く。
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次年度使用額が生じた理由 |
海外への旅費を使用していないため。
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次年度使用額の使用計画 |
フランスおよびイギリスにおいて資料収集をおこなう予定である。
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