19世紀末から20世紀初頭のドイツやアメリカでは優生断種手術が積極的に実施されたのに対してイギリスではさほど活発ではなかったのはなぜかが明らかになった。また、同時期の日本で発行された諸雑誌(『優生』『優生学』『人性』など)を検討した結果、イギリスの優生学よりもドイツ系の優生学と断種手術の紹介記事のほうが多数であることがわかった。これらのことが1930年代以降日本の断種法制定に至る背景をなしていると推測できた。 また、優生断種手術に批判的であった医学者・木田文夫について調査した。その結果、彼がドイツ系の遺伝子決定論に懐疑的であったためであることが判明した。
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